青年と協同組合

岡安喜三郎


氈D青年と協同に関する基本的認識


 現在、日本は確実に少子・高齢化社会に突入し、経済活動だけでなく福祉や環境等々の諸課題を担うべく21世紀の協同組合が語られている。1990年前後から「21世紀は協同の時代」とか「協同組合の時代」とか言われてきた。現在、生協の経営や運営に困難性が見えている。一方で、数年前に比べて、若者の福祉への関心、ボランティア活動への関心は段違いに高まっている。大学生協の活動総体も、様々な実践で“協同”に確信を持ってきた学生リーダーに支えられているのは言うまでもない。

「未来は青年のものなり」

 大学生協連の会長室の壁には、1935年11月1日に賀川豊彦が創立十周年の東京学生消費組合に贈った「未来は我らのものな里」という額が飾られている。私自身は、このような熱いメッセージが戦前に存在したことを生協に勤めてから知った。
 ほぼ30年前、女子徒競走のスタート時の写真を背景に「未来は青年のもの」と書かれたポスターがとても新鮮に目に入った。私は学生時代、この標語に心をときめかしたものである。時は学園紛争のまっただ中、何か自分たちが時代を創っている感覚が私の中にあったのだと思う。
 他の人よりちょっと遅く卒業してから、四半世紀を大学生協で過ごし、その中で常に大学生協運動の学生リーダーとともに活動する機会に恵まれた。特にその後半は全国リーダーとともに過ごしてきたが、やはり学生に対する気持ちは彼・彼女らの卒業後への思いである。
 まず自らの思いをきちんと持って活動して欲しい、そして活動しきたことに自信・確信を持って欲しい、生協に勤めようが他で働こうが協同への確信をもって仕事をし続けて欲しい。そのためには少々先輩である私・我々に何ができるだろうか。こんなところが一貫した思いである。
 もちろん、そのためには、まず私自らが未来に対して、青年に対して、また現状改革に対して思いをきちんと持ち続け、それを発信しながら仕事をする、協同への確信をもって仕事をし続けるということが必要である。そこから生まれるちょっとした共感の積み重ねこそが、新しい取り組み、深みと広がりをもった取り組みをもたらすと思っている。換言すればこれがビジョン駆動型と言うことになるのかも知れない。

コミュニティと協同組合、NPO

 21世紀の協同組合を考えるとき、いま注目すべきはコミュニティベースの“協同”であろう。きょうと学生ボランティアセンター(注1)とか(協同組合)福岡建設職人100人の会(注2)とかの話を聞くと、“協同”がキーワードとなっているようである。“協同”をキーワードとしたとき(残念ながら“協同組合”ではなく)、発想は豊かになり、広がりを持つのはやむを得ないのかもしれない。すなわち、コミュニティベースの“協同”は、21世紀の地域コミュニティとその中での人々の生活を支える重要な勢力となる。。
 その際、地域コミュニティにおける協同の枠組みには、非営利組織(NPO)も入ることになるであろう。福祉や環境等々の課題、ボランティア活動を担うことを期待されて、昨年4月にいわゆるNPO法が成立した。協同組合などに代表される民間非営利法人の括りに、新しいイメージの非営利法人の設立が可能になった。NPO法自体は出資の問題、有限責任の問題など事業活動には不十分な体系とも言えるが、その推進者の人たちは事業を念頭に入れている。そのような法人が、他者との関係や運営に協同の心を置くのには言を待たない。
 となると、想定されることがある。すなわち、生協等の協同組合がこれからも非営利法人と世間から見られ続けられるかという問題である。それは、社会システムとしての“協同”を担う組織としての問いかけに、協同組合が答え続けられるのか、NPOの側から答えが出るのかという問題でもある。結構シビアになるのではないか?

アジアの協同組合と日本の生協

 協同組合の個別法である生協法の存在は、日本の生協運動の発展をもたらしたと言える。少なくとも消費物資の流通を主とした活動にとっては有益であった。そのことが「生協においては利用者をすべて組合員にする方針で組織強化を」という日本からのメッセージとしてアジアの消費者協同組合の活動に浸透させることになった。しかし、別のあるテーマ(青年の人的資源開発とかコミュニティ再生とかなど)になると、日本の協同組合運動の立ち後れが目に付くようになる。
 とくに生協において、大学生協以外の、他のタイプの生協では若者の登場する場面がほとんどないのである。「若者に支持されない組織・運動に未来はない」と、アジアの協同組合人に青年・学生の参加とその育成を訴え、1996年11月、1999年4月と2回の青年セミナーを開催するようになった。当初セミナーは「キャンパス・コープ」に絞った企画で始まったが、実際には農協、他の協同組合の青年をも参加できるようにした経緯がある。顧みて、日本こそすべてのタイプの協同組合(NPOを含めた協同組織)の若者・青年が横に連絡をとり合えるフォーラムのような組織が必要なのかも知れない。
 ちなみに、フィリピンでは年に1回、オール協同組合の「コープ・サミット」が3-4千名の規模で開催されているが、近年、その中に多くの若者も参加している。
 また、アジアには日本にはないような形態の協同組合が存在している。例えばインドネシアには青年協同組合連合会と言う組織(KOPINDO)があり、50を越える各地の大学生協(KOPMA:学生協同組合)はその傘下にある。フィリピンの共同作業所コープとかベトナム・フエの生協の職業訓練学校運営(貧困から脱出するために障害者の子供にミシンの扱い方を一定期間無償で訓練する:立命生協の沼沢さんと一緒に訪問した)も極めて自然体で運営している。

協同の価値は人々の共通の財産

 協同組合の価値観の源泉は協同組合組織の中にあるわけではない。ICAマルコス会長(当時)の提起(1988年)にしろ、ベーク氏の提起(1992年)にしろ、その源泉は、人が生きることであり、人と人との関係であり、社会との関わりであり、世界との関わりである。これらに真摯である協同組合である限り、協同組合の価値を多くの人たちが認める、というのが基本構図ではなかろうか。多くの人たちがそうだと感じる協同組合の基本的価値は、協同組合固有のものではないし、ましてや協同組合内で独占物にはならない。協同組合はその価値を実現できる実践できる組織・団体であるという点で価値が認められるのではないか? これらは端的に以下のように言える。協同組合はその組合員の財産であるが、協同の価値は世界の人々の共通の財産である。
 1992年のICA東京大会を境に、日本生協運動はさまざまな困難に直面し始めた。一部の生協とは言え、粉飾決算を続けた上での経営破綻、商品の虚偽広告、はたまた幹部の生協私物化・利益供与まで明らかになった。同じ問題ではないが、誠実性・倫理性に関して、大学生協においても昨年12月の全国総会で若干の事例報告と問題の指摘が代議員からされた。すなわち、誰ものが危惧するのは、人々の共通の財産である協同の価値を(一部の生協とはいえ)生活協同組合の側から破壊しているという問題である。
 協同組合はその事業性格から、@社会的使命とビジョンの保持、A物事を変換できる技術力、B関係者からの信頼性、この3つをコア要素として存在・成立している。いずれか一つが曖昧になっても、経営は揺らいでいく。
 その中で肝要なのは結局、誠実性・倫理性の協同組合経営の中での位置づけであろう。同時に、この問題は人権等の諸問題を含む企業・事業体や地域社会の文化性に関わる問題でもあり、単純にはいかないとは思うがチャレンジ課題であることには変わりはない。いずれにしても、誠実性、倫理性の欠けた「協同組合」は21世紀の社会から取り残される。また、そういう「協同組合」を毅然と批判できる協同組合運動でなければ、必要な役割を果たすどころか、社会からの信頼も得ることができないと思うが、如何であろうか?

.21世紀の協同の構図


 以上の基本的な認識を基に 日本の21世紀の協同の構図を私なりに描いてみたい。柱は3つである、ぜひ多くの人の教えを請いたい。
ビジョン1.協同の21世紀を体現する「コミュニティベースの“協同”」
ビジョン2.協同組合の青年を舞台に登場させる「協同組合青年フォーラム」
ビジョン3.「多様な協同組合の存立」、その保証とリーダーシップ

1.コミュニティベースの“協同”

 福祉、環境、教育いずれにしても人と人とのつながりは、コミュニティがベースであり、いわゆる競争社会ではない共存・共生社会を価値観とした社会を形成することが求められている。地域コミュニティは競争原理によってではなく、協同の原理によって育まれることは多くの人たちの指摘するところであり、それがコミュニティベースでの“協同”の拡がりをもたらすと言える。
 21世紀のコミュニティベースでの“協同”の拡がりに果たす協同組合の潜在的能力は当然にもかなり高い。しかし、現在のように、行政の縦割りだけではなく、地域コミュニティにおいて協同組合まで縦割りになったままでは、その力も存分には発揮できないのではないか。
 コミュニティベースの“協同”の基本イメージは、まずコミュニティの中に多様な協同組織、協同組合、NPOが存在し、それらを包括するネットワーク組織が存在することにある。既存の生協・大学生協や農協(の支部かも知れない)も“得意技”を持って積極的にその一員となること。それが地方自治体と協力しながら、地域コミュニティの人々のニーズに沿って、仕事興し、新たな協同の動き、協同組織の設立を支援する。こういうコミュニティベースの“協同”が全国津々浦々に存在すること。これを21世紀のビジョンとして持ちたい。
 そのためには、コミュニティベースにおいて、“協同の価値”のみならず“協同組合の価値”が認知される努力が必要である。先ずはICAの協同組合が表明した「協同組合の定義や価値、原則」が地域の個々の家庭、事業所、職場の中で誰でもが、国籍を問わず知っている状況を作りあげよう。「協同組合は、一般の人々、特に若い人々やオピニオンリーダーに、協同組合運動の特質と利点について知らせる」(ICA第5原則「教育、訓練および広報」)という原則的活動を、既存の協同組合が協力して実践することが肝要である。
 協同の持つ潜在力は、協同組織が協同して地域コミュニティの問題に取り組むことによって現実の力を生み出す。そういう状況の中で、“協同”は社会的も素直に認知され、もっと大きな可能性を生み出すに違いない。
 ここで一つポイントとなるのは、「地域コミュニティの人々のニーズ」の鳥瞰であろう。単なる「生活上のニーズ」にとどまらない、「収入を得るために働くこと」「仕事ができること」という社会に生きる必須のニーズを視野に入れなければならない。

2.協同組合青年フォーラム

 「若者に支持されない組織・運動に未来はない」とは肝に銘ずる言葉である。協同組合であれ何であれ、組織は世代を渡ることによって活性化を維持する。それは、ある秩序は新しい世代の価値観の中で新しい秩序として再形成されることを認識することでもある。
 コミュニティベースの“協同”を21世紀の第一のビジョンとするならば、「協同組合青年フォーラム」プランは、もう一つの21世紀ビジョンである。これは、日本のあらゆる協同組合セクター(NPOを含めて)を対象に、働き、活動する青年の情報交換、交流等をすすめる全国ネットワーク組織を結成しようというものである。青年とは10歳代後半から20歳代、30歳代を想定できよう。
 青年が支持する組織とは、青年が参加する組織であるし、常に青年の登場する舞台を設定できる組織である。最も分かり易いのは青年自身の組織であるが、それは安易に青年とそれ以外を分離することになりかねない。「若者は国の宝である」との堅い信念を持って、協同組合運動にあって青年が様々な舞台に登場することを支援したいものである。
 具体的なプランとしては2001年位に、ICAアジア大平洋地域第3回青年セミナーを日本で開くことを働きかけたいと思っている。過去2回のセミナーはICAアジア大平洋地域大学生協小委員会が、開催国生協連、協同組合連合会と協力して開催してきたが、私自身大学生協小委員会の議長としてそれに係わってきた。そろそろ日本で開催しても良いのではないかと思う。

3.多様な協同組合(「非営利協同事業体」)の存立

 三番目のビジョンは多様な協同組合の存立にある。協同組合の多様性の保証こそ協同組合が協同を担う基盤である。協同組合の多様性を保証するには、それなりの法律があると分かりやすいが、必ずしもそれを前提にする必要はない。運動の発展、実践の展開に応じて法律が後から作られることはよくあることである。
 とくに、現在直面している高齢社会での働きがいや「雇用」の創出などの課題は、協同組合の新しいチャレンジ、新しいタイプの協同組合へのチャレンジを必要とし、さらには雇用労働だけではない新しい労働形態、「協同労働」へのチャレンジも必要とされている。問題は、それらの運動に対する既存協同組合・労働組合の寛容性であろう。
 協同組合は「非営利協同事業体」であり、ヨーロッパでは社会経済の担い手の位置づけもあるが、世界の多様な協同組合を割り切って分類すると、大きくは生産者(事業者)の協同組合(農協や漁協など)と、非生産者(非事業者)の協同組合とに分けることができ、その非生産者(非事業者)の協同組合も利用者の協同組合(労金や生協など)と労働提供者の協同組合(医師協同組合、労働者協同組合など)とに分類できよう。もちろん、その混合型も存在する。(なお、日本の個別法では包括できない協同組合があることは一目瞭然であるが、その解決方法は本論論のテーマではない。)
 新しいタイプの協同組合の一側面は、実践的に個人がベースの組織形態の特徴を持つと言える。ここに、青年が創る、高齢者が創る協同組合運動の可能性が生まれる。生協も農協も法律上は一世帯から複数の組合員が可能であるが、実態は世帯単位での運営である。それは経営や生計を単位としているからである。新しいタイプの協同組合とは生協や農協等、既存の協同組合以外のことだけを言っているのではない。ここでは、新しいタイプの生協の設立も既存生協の新しいタイプへの移行も法律的には可能であることだけを指摘しておきたい。

。.青年自身が創っていく協同組合運動


 協同の社会システムとか社会経済等々が提起されているが、経済のグローバル化、規制緩和のみならず、少子・高齢化がもたらす大変動――経済・社会はもとより、教育、文化、精神世界にもおよぶ大変動――を見据え、これをすべての協同組合が協力して実践を開始する必要があると痛感する。そして、そのような活動の中に、青年・若者の動きが入っていなければ真のダイナミックな展開にはならないであろう。
 先に開かれたカナダでのICA大会に参加する機会があったが、そこでは

等々が話題になった。同時に4回目になるICAのグローバル青年セミナー「青年フォーラム」が開かれ、今回の特徴としてセミナー参加者はICA大会そのものにも出席できるようになっていた。と言うより、昼はICA大会出席、夕方から夜は青年独自のプログラムが用意されていると言った方が正しい。
 大会最終日の全体会では、青年セミナーの参加者が、セミナーで得た確信や何故協同組合の活動に関わってきたかなどを、母語で次々に発表した。最後にはICA理事会のもとに「青年のグローバル委員会」を設けることをICA会長が確約していた。実現可能性に危惧はあっても楽しいエポックであった。
 協同組合運動の中で青年を重視する流れになってきた。その流れは1988年のICAストックホルム大会の「青年セミナー」から始まったと思う。それから数回のグローバルなセミナーを経て、アジア太平洋地域、北米地域、中南米地域等で、協同組合の青年セミナー、カンファレンスが開催され、世界への流れになったと言える。
 こういう流れを各国で創ろうというのが実は今年4月にフィリピン大学構内で行われた「アジア大平洋地域青年セミナー」の確認であった。(「協う」51号、1999年6月、p.14 中島達弥さんのレポート)
 若者を協同組合の中で登場させる最も正統的な方法は、若者を組合員にする協同組合組織の広がりである。それは新しいタイプ、個人ベースの協同組合(実は大学生協も個人ベースの協同組合)がその保証ということになる。そういう中で、今の何を引き継ぐかは青年・若者自身の意思である。

「協う(かなう)第53号」1999年10月号(くらしと協同の研究所発行)
おかやす きさぶろう
e-mail: okayasu@mars.ccn.ne.jp


(注1)「きょうと学生ボランティアセンター」
1996年10月1日、京都市内に学生たちが設立。情報誌を通してボランティアを求める施設などの情報を提供したり、学生どうしの交流を行っている。

(注2)「(協同組合)福岡建設職人100人の会」
1997年8月に発足。地域社会との交流を目的にボランティアで福祉施設や保育園などの修理、改装工事を材料費のみで行ったりした。建設業界に新しい風を吹き込む取り組み。

 なお、上記以外にも、現在注目を浴びているのは「高齢協」(高齢者協同組合)であろう。全国的に都道府県単位で結成がすすんでいて、9つほどの組織は「高齢者生協」として、行政から認可されている。その活動をバックアップ(ないし推進)しているのが、「労働者協同組合連合会」(略称労協)である。

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