ワーカーズコープ連絡会通信[ラン]の巻頭言
(ワーカーズコープ連絡会:コープかながわの組合員中心につくるワーカーズコープの連絡会)


ワーカーズコープ連絡会通信[ラン]第25号 2002.6.1

21世紀らしい協同組合経営(論)の模索

 21世紀はグローバル化の一方で協同と共生の時代と言われるし、地域に密着した協同組合の出番だと私も思う。今こういった情況の中で焦眉の課題は、それにふさわしい協同組合の経営のあり方にあると言って過言ではない。

 経営とは経済的行為であるが人と人との組織的営みという点で奥が深い。企業や協同組合には経営があり、国や地域にも経営がある。営利・非営利に関わらず経営をめぐる問題は常に古くて新しい問題である。

 特に経営の中で現実的関心事は「赤字・黒字」を除けば、言葉は悪いが『人を動かす』の類であろう。生協や企業においては経営者が如何に立派な理念・戦略や方針を持っていても、それを人に伝え、その人たちが動かなければ経営活動は進まない。動かすのが機械だけなら工学の知識で十分であるのだから。その「人を動かす」ために世には様々な経営組織論が紹介されており、リーダーは勉強することになる。

 ここで奇妙な事態に遭遇することになる。そもそも「経営組織(論)」とは、社会的役割や社会的位置づけといった理念・目標(ビジョン)の達成を出発点にして、どの様な組織・組織運営が最もその達成にふさわしいかを希求することによって定まるものだと思うのだが、「指揮・命令」「権限で人を動かす」など伝統的な経営観・経営組織論は企業も伝統的協同組合も差は見出しえなくなっている。そう感じるのは私だけであろうか。

 もし、生協であろうがワーカーズであろうが協同組合で働く人に「協同忘却、非自発的労働、指示待ち」が散見されるようになったら、協同組合経営(論)は完全に岐路に立っていると言える。

 20世紀は協同組合の助走の世紀であった。借り物の経営観・経営組織論でこれだけ発展した。構造不況、グローバル化で始まった21世紀は地域に根付く期待される協同組合を、自らの運営論をも模索しながら実現しなければならない。

岡安喜三郎(協同総合研究所専務理事)



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ワーカーズコープ連絡会通信[ラン]第26号 2002.

チーム活動とリーダーシップ

 ベトナム戦争の頃、もちろんアメリカの侵略に反対して様々な運動をしていたが、解放民族戦線(ベトコン)の小隊では統率者たる小隊長を男女を問わず隊員みんなで選ぶ、議論は良くするという話を聞いた。自由と独立のために戦っている組織なのだから指導者も民主的に選ぶと。大学に入ったばかりの紅顔の(美)少年はびっくりした。しかし印象深い話であった。

 これが本当かどうかを調べることもなく今に至っているが、結構な数の小隊で行われていたと確信している。その方が隊員は納得し、力を余すところ無く発揮できるからだ。そこは出来上がった組織論を持つ正規軍とは違う。情報や武器のままならない中でグループ毎に最も効果的に戦うには、信念、自発性、信頼に基づく共同行動が生命線であり、論議と共にリーダーを選んでおかないといけない。敵が攻めてきてから会議をしていては遅すぎる、烏合の衆で勝てるわけがない。まさに極限状態の中で、選ばれた責任、選んだ責任を全うすることになる。

 話を事業体のマネジメントに戻すと、不透明感の漂う現在では、(一般に上から指名される)管理者より、みんなが変化起こすためのリーダーシップの重要性が問われている。何が違うのか?リーダーは人を管理するよりも元気付け鼓舞する対象と見る点が決定的な違いであろう。

 鼓舞するというのは単に演説の話ではない、それぞれの仕事に意味づけをすることが決定的であり、また別の局面では仕事や作業の工夫をしたり、それを教えることでもある。したがってチームにはリーダー一人ということにはならない。それどころか、チームではみんなが得意技を持ち寄るという点で、局面々々でみんながリーダーになるという組織がめざすチーム組織なのではなかろうか。その上で総括的リーダーも自ずと必要になる。

 再度ベトナムへ。数年前旧サイゴンの近くのクチという当時の解放区を見学した際、工夫に満ちあふれた立体的網状のトンネルに入ったが、まさに集団の英知である感動を覚えた。

岡安喜三郎(協同総合研究所専務理事)



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ワーカーズコープ連絡会通信[ラン]第27号 2002.

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本 文

岡安喜三郎(協同総合研究所専務理事)



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