世界の大学生協の現状
1992年当時の記録

マレーシアセミナーを終えて
岡安 喜三郎
1992年11月記


目次

第1部 交流日誌

1. アジアでの連帯交流
2. アメリカ/オーストラリアの大学生協との接点
3. 1992年ICA東京大会と大学生協

第2部 各国状況

1. タイ
2. フィリピン
3. インド
4. マレーシア
5. シンガポール
6. インドネシア
7. 韓国
8. アメリカ合衆国/カナダ
9. 中国/台湾/ベトナム/ミャンマー/モンゴル
10. その他の国



第1部 交流日誌



1. アジアでの連帯交流

大学生協オリエンテーションセミナーの開催まで

1984.6: 東南アジア大学生協訪問(高橋,小林)
マレーシア,タイ,フィリピンへ
1985.8: ICA東南アジア生協セミナーを東京で開催,大学コース併催
フィリピン,タイ,インドネシア,マレーシア
1986.5: 岡安、ICA東南アジア生協小委員会の委員となり,シンガポールへ.
帰路,マレーシア,タイ,フィリピンとまわる(岡安,横山)
1988.5: 生協小委員会(チェンマイ)で紹介セミナーの開催決める
第1回開催地をタイのバンコックで,名称は「大学生協オリエンテーション・セミナー」
現地受入組織は生協連合会ではなく,タイ協同組合連合会(CLT)に
費用は地域(日生協)レベルの慣行とは異なる方法を用いた

大学生協オリエンテーションセミナーの開催――第1期終了

○タイ (1989.1) 講師:長,小林  
○フィリピン (1990.3) 講師:長,小林  
○インド (1990.11) 講師:長,大野  
○インドネシア (1992.1) 講師:長,岡安 複数国の参加の第1回目
マレーシア〜 (1993.2) 講師:長,岡安 複数国の参加の第2回目

大学生協フォローアップセミナー予定

○1994年2月頃:タイ

人材交流

1990.12〜1992.12 チュラ大学マスター終了のチューポン・ソーポンマー君を大学生協連の職員に
1992.11〜1993.6 インド・マンガロー大学のドングレ助教授,京都の立命館生協で研修

1992.5 ICAアジア太平洋生協委員会で「アジア大学生協協議会」構想を発表.承認される.


2. アメリカ/オーストラリアの大学生協との接点

1980年以前: アメリカへの訪問は多数あったが,大学生協との意識的交流はなかった.
UCバークレーで「コープの場所」を聞いたら学生寮に連れていかれたのはこの頃.
1983.2: ISTC総会出席でシドニーに行った際,シドニー大学の生協見学
(岡安,小林,今井,上条他)
1989.10: アメリカ協同組合連合会から同年11月の大学生協の年次総会でスピーチ要請
(準備期間と言語問題で断った)
1985〜1991: NACS総会の中でハーバード以外の大学生協の存在が見えてくる.
ハーバード生協やコネチカット大学生協など訪問(長,西垣内他)
1990.4: NACS総会中に第1回コープ・ラウンドテーブル(長,西垣内他)
1991.4: 第2回コープ・ラウンドテーブル(岡安,長,西垣内他)
1992.4: コープ・ラウンドテーブルが中止(1993.4再開).インターナショナル・ラウンドテーブルに参加.オーストラリアも参加.
1992.7: オーストラリア・コープ・ブックストアを訪問(栗木)
1992.12: オーストラリア協同組合連合会とのファームステイ研究の際,ブックストア訪問.(岡安,栗木,他)
1993.4: NACSでのコープ・ラウンドテーブル再開/テーマ"Is the Co-op. for your future?"


3. 1992年ICA東京大会と大学生協

  • 全国大学生協連が10.20-26開催の「平和と環境に関する国際ユースセミナー」のホスト団体になる.
  • 16ヶ国45名の参加.現地事務局を関西と東京の地連が各々で運営.
    10.30のICA大会最終日にドイツの代議員のマーチン君がセミナー内容を報告.
    セミナー中に,マルコス会長,ベーク氏が挨拶.
    さよならパーティーで,ウィルキンソン氏,他が挨拶.
  • 10.27にNASCO代表2人,USCA代表2人,計4人と懇談.
    (NASCO: North American Student Co-operative Association)
    (USCA: University Students' Co-operative Association)
  • 10.28旅行事業部とオーストラリア協同組合連合会との間でファームステイ企画の方向確認.
    (A.A.C.: Australian Association of Co-operatives Ltd.)
    デレック氏,ジェフ・エアーズ氏.



第2部 各国状況


1. タイ
 【国内生協組織の概略】
 タイの大学生協は歴史の古いタマサート,チュラ(30年以上),カセサート(20年余)などと,スリナカリンヴィロット各分校のような80年代に創立された比較的新しい大学生協とがある.タイ全土では,大学生協が20数生協あり,専門学校・高校にも100前後の生協が存在しているらしい.歴史の古い大学生協は,70年代の学生運動(タイでは「学生革命」とも呼ぶ)の影響を少なからず受けていたようである.チュラ大学生協では当初は書籍部も運営していたが今は大学直営である.タマサートでも生協紹介のビデオのなかに「学生革命」の項があった.また,大学生協間の設立支援被支援の関係はなかったと聞き及んでいる.
 1989年1月,バンコクで大学生協オリエンテーション・セミナーを開いた.受入組織はタイ協同組合リーグ(CLT:Co-operative League of Thailand)であった.タイの大学生協はそれまで,全国的な横の連絡がほとんどとれていなかった(バンコックの数大学生協は交流していた)が,セミナーを機会に大学生協の連合体をつくろうとの機運が高まった.1989年1月のセミナーの後,同年9月末に東京でのフォローアップセミナーに参加した人が中心になり,CLTスタッフも関わって連合会設立のワーキンググループができた.1990年5月にはそのCLTがホストとなって全国連合会設立のためのセミナーを開催した.それには日本からも講師を派遣した.そのセミナーでは,設立される連合会の名前を「教育機関生協連合会」とすることに決め,また,大学のみならず専門学校・高校の協同組合も含めた連合会をめざすこととなっている.その後も何回かセミナーを継続しており,1993年5月には「連合会設立直前のセミナー」(チューポン君の言)を開いた.
 タイにはタイ生協連合会(CCFT:Consumers' Co-operative Federation of Thailand)も組織されており,そののスタッフは10人で,事務所は政府協同組合開発省内にある.一方,CLTの組織図には理事会の下に,農協,信金など6つの各タイプ別委員会があり,生協委員会もその一つである.CLTの主要機能は,各種協同組合共通の国際活動と協同組合教育にあり,ビジネスは生協分野で言えばCCFTが受け持っている.CCFTの上部団体がCLTという訳でもないが,社会的ポジションはCLTが高くCCFTは低いのが現実らしい.単位の生協とCCFT,CCFTとCLTの関係は微妙らしい.
 なお,チュラ生協マネジャーのチャイジャレン氏はCCFTの40人の理事の一人(しかも常務理事)であったが,1992年からCCFTに異動してしまった.
 カセサート大学では協同組合の経営が良いために大学直営の方向をだしたため,一時期,カセサート大学生協マネージャーのピンタイさんが連合会ワーキンググループにも出なくなったが,また参加している.
 【大学生協事業の概略】
 タイの大学生協の事業分野としては主に日本で言う「購買部」である.チュラ,タマサート,およびスリナカリンヴィロット各分校の生協は購買部門だけ,カセサートの新キャンパスの生協店舗には書籍店舗が出来た.チェンマイ大学生協は1988年当時は貸本中心であったが,1992年には店舗改装して他のサービスも始めたらしい(1992.8:伊野瀬,巣内情報).バンセン(バンコックとパタヤの中間点)の生協ではコピー機があったが故障してもなかなか修理に来てくれないので稼働率が50%程度と嘆いていた(1989.10現在).
 事業面では日系企業の進出で競争が激しく,仕入条件などは完全に負けている.それが事業連帯を進めたい第1の要因である.
 タイの大学生協の経営管理は,会計処理を含めて健全な方と言ってよいと思われる.ジェネラルマネジャーは専門職であって,赤字か否かが評価基準であるものその一因であろう.チュラ大学などではその大学の卒業生(チャイジャレン氏)が就職していた(〜1991).小さな生協でジェネラルマネジャーを兼任している教員も会計には明るいひともいる.なお,生協職員の給与は平均より低い状況らしい.マネジャーの安定化のためにマネジャーの給与はそんなに低くはしていないと思われる.もっとも,大学卒と高校卒とでは給与に大きな差があるのがタイの企業実態らしいが.
 ところが,1992.8の稲葉公認会計士,伊野瀬東事業連専務,巣内東事業連サービス事業部長各氏のタイ訪問事には,前述したようにチャイジャレン氏がCCFTに移り,後任のマネジャーが決まっていない段階の為,学生がてんやわんやだったらしい.新店舗のチェンマイ大学生協では,「会計はチンプンカンプン」との評価は上記稲葉先生.
 【学生参加の実態】
 タイの大学生協における学生参加の現状は大学によって異なっており,大きく2つのタイプに分かれる.第1は,チュラ,タマサート型(歴史があり比較的大きい)である.この型は学生生協として組織され,理事会は学生のみで運営されている.教員や先輩はアドバイザーとして生協運営にタッチしている.タイでは年長者に敬意を払う習慣があるため,一緒に会議やっても学生が意見を言わなくなるのでとのこと.チュラ大学の協同組合研究のチャバリット・サラ教授は同生協のアドバイザーとなっている.第2の型は,スリナカリンヴィロット型(比較的小さい)とでも言おう.理事会は教員が過半数を占め,学生が数人理事に入る.理事長は教員がなっている.カセサートもこの型である.学生組合員数もそう多くはなく,割戻しや出資配当も行なっている.特にスリナカリンヴィロット・バンケンの生協は学生の教育として位置付けてもいる模様である.
 日本に比べて,タイの大学生協の学生組織率は低い.法律的に20歳にならないと(成人にならないと)組合員になれないという単純な理由がある.日本でも生協加入は一種の契約行為なので法律的にはそうなのであるが,大学生にあっては加入の際の親権者の同意は不要との厚生省見解で現在に至っている.タイもそうなると良いとCLTのナロン氏は語っていた.一方では,卒業したから脱退しなければならないという法的規制がない.換言すれば,日本のような「職域」とか「地域」とかの概念がない.多くの大学生協では卒業生も組合員にしているようである.しかし,組合員が形式的に増えても実際にキャンパスに来なければなかなか利用してはくれない現実もある.
 【その他】
 このように,大学生協の形態は日本と少々趣を異にするが,これは何よりも,協同組合の位置付けの違い,要するに協同組合の法律的な相違によることが大きいと思われる.タイの協同組合法は一本であって,日本みたいに,生協法や農協法などと分かれてはいない.タイの大学にはこの他に信用協同組合が教職員を組織し,前述の生協と併存している.日本で言えば労金に近いものである.我々にとっては違うものとして見がちであるが,タイの人達から見れば同じ協同組合として見ている.もっとも,これはタイが独特なのではなく,世界的に見れば,日本が独特であることが見えてくる.
 【閑話休題】タイでは生協を「ラーン・サハコーン」(=コープストア:協同組合の店舗)と呼んでいる.チュラロンコン大学生協の直訳は「有限責任チュラロンコン大学コープストア」とでもなろうか.地域生協のプラナコン生協も「有限責任プラナコンコープストア」が直訳となる.言葉が示すように「店舗を運営する協同組合」が,タイで使われている6つの分類の中の概念であろう.

2. フィリピン
 【国内生協組織の概略】
 フィリピンには30大学位に生協があり,フィリピン大学やポリテクニク大学,セント・トーマス大学など結構有名な大学にも生協がある.さらには,フィリピン科学高校(PSHS:全国一区のエリート養成高校)に生協があり,ここのマネージャーのマリエッタ・クリマコさんが大学生協関係の中心的人物.ミンダナオ島西部に活発な大学生協があるらしいとは,ICAアジア太平洋支局のマチマさんの言.しかしまだ訪問したことはない.フィリピンの生協はICAの報告によれば800,その内300位が活発という.マニラ近辺の状況から受けた印象では,活動の主流は,地域生協ではなく職域生協にあった.大学も職域の一種という意味ではほとんどが職域(フィリピンの言い方では"Institute Co-op")であるかも知れない.この点は過去の日本と似ている.しかし,ここ数年,地域生協づくりに熱心である.
 1990年3月,フィリピンでのオリエンテーション・セミナーの受入組織はフィリピン協同組合連合会(CUP:Co-operative Union of the Philippines)であった.生協の全国連合会はなく,マニラ地区にメトロマニラ生協連合会が結成されている.このプレジデントがさきのPSHSのクリマコさんである.コープとうきょうから送られたトラックが配送車として使われていた(1993.4).
 1990年3月,マニラセミナーの直後に協同組合の発展に関する2つの法律が公布された.一つは協同組合の法的整備や協同組合教育の強化に関する法律.もう一つは,その法律を円滑に執行するための大統領直轄の機関であるCDA(Co-operative Development Authority)設置に関する法律である.聞くところによれば,フィリピンにはCUPの他にもう一つ全国連合会があるらしく,それも政治状況を反映した事態らしい.しかし,確かめようのないまま現在に至っている.
 PUP(Polytechnique University of the Philippinens) には協同組合研究所(the Institute of Co-operative)があり,日本の資料を欲していた.1992.10のICA大会に連動したユースセミナーにはこの大学の学生が2名参加していた.
 フィリピンでのセミナーから2年以上たって,そのフォローアップセミナーを京都で開催した.経費負担としては,他の国とのバランスもあって大阪までの航空運賃はフィリピン側の持ちとしていたのだが,かなり大変であったと推察できる.マニラ−大阪は直行便では4時間弱であるが,一番安いチケットが,マニラ−香港−台北−大阪のルートであったため,一日かがりの移動になってしまった.
 このフォローアップセミナーの参加者は,自らを"Phillippines-Kyoto '92 Groupe"と称し,フィリピンにおける連合会づくりの中心になっている.フィリピンにおける連合会づくりは地域での取り組みを強化し地域連合会を結成してその上に全国連合会を結成するというアクションプランを立てている.今年の3月に,ルソン,中央島部,ミンダナオの3ヵ所でエコーセミナー(連続して開催するので連帯の感じを出すために付けた名前だと思われる)を開くので講師を派遣してほしいとの要請があったが,当面はマニラでの1ヵ所に勘弁してもらった.それは1993年5月,日本の連休中に開催された.
 【大学生協事業の概略】
 大学生協の事業分野は比較的幅広い.購買部のみならず,食堂運営,書籍取扱いもしている生協が見られる.しかしながら,生協のオペレーションレベルは決して高いとは言えない.その原因は主要には経済・流通レベル,民力レベルに規定されていると思える.もっとも,最初に訪問したのが,当時の生協小委員会委員の生協だったのだが,これが倉庫ともお店ともつかず,机だけが異様に立派な印象を受けたので予断が入っているかも知れない.ただ,UST(セントトーマス大学)生協は1990.3のセミナー後に,再建を開始し軌道に乗りつつあるらしい.
 1986年にファーイースタン大学(FEU)を訪問したが小さいながらも,様々な事業を行っていたが,1993年4月の訪問時には1ヵ所の小さな店舗があるだけであった.なにか一所懸命やっていたマネージャーがいなくなったとか.しかし現在の店舗はこじんまりとこぎれいで,教科書のプリントを一手販売していいるので経営はほどほど安定しているという.
 【学生参加の実態】
 「フィリピンの大学では学生を組合員にせず,教員だけで運営している」と1986年当時は言われてたが,必ずしもそうではなさそうである.380年の歴史を持つUSTの生協では,学生理事の経験者が生協に就職し,現在マネジャーとして元気に働いている.そう言われていたのは確かに一部の大学生協で教員だけが組合員との実態もあったらしい.ただ,タイとは違って「成人」でないと大学生協の組合員になれないという法的規制はないはずなのであるが.
 1993年5月1-3日のセミナーには学生理事も参加していた.
 【その他】
 フィリピンの生協には出資金が2種類ある.生協用語で日本語に直すと「一般出資金」とか「優先出資金」.要するに「一般株」「優先株」である.FEU(ファーイースタン大学)生協では一般株1口100ペソ,優先株1口5ペソになっており,加入者には一般株5口,優先株1口を要請している.また,出資配当の限度は法律で一般株10%,優先株12%と決められている.
 フィリピンではキリスト教系の学校の先生が協同組合活動に結構熱心である.シスターとかファーザーの称号の人と付き合うことが多い.
 1990.3のセミナー以降,ほとんど動きが見えなかった.ただ,こういうことがある.フォローアップセミナーであるが,本当にお金がない,したがって国際便の航空券の費用も持ってくれないかとの話が'91.6のシンガポールでの生協委員会で出された.これはPSHSのクリマコからマチマ氏に手紙が行っていて,それをCUPが知らなかった.ということもあり,他の国のバランスも見て断っておいたが,大学生協グループとCUP(の幹部)とはあまりしっくりしていない模様.

3. インド
 【国内生協組織の概略】
 インドには,協同組合連合会の下に,NCCF(National Consumers' Co-operative Federation of India)が全国生協連として存在している.インドは州毎の自治というか独自性がつよく,協同組合も州法の下で登録される..
 ニューデリーの近くにはバザールと呼んでいる大きな地域生協がある.ネール大学の生協もそのバザールが出店していると思われる.
 1990年11月の大学生協オリエンテーションセミナーの際,プネでフィールドワークで行った地域生協のお店が原則的な活動をしていた.マネジャーが一人ひとりの担当を誇りを以て紹介していたのが印象に残る.
 インドでのセミナーは生協連合会(NCCF)ではなく,プネにある国立協同組合経営研究所(VAMNICOM: VAIKUNTH MEHTA National Insutitute of Co-operative Management)が受入を担当し,そこで行なわれた.施設自体はアジアやアフリカの人達も泊まっていたが,環境のよい施設である.
 【大学生協事業の概略】
 直接この目で見た大学生協は,ネール大学の2つのキャンパスの生協店舗(「バザール」)とプネ大学の教職員生協の店舗だけである.ハッキリ言って,前者は「小麦粉と油とホコリと蝿」の印象.もちろん,書籍もあったし理髪店もあり,その名の通りバザールではある.後者は通訳の学生さえもその存在を知らなかった文具,万年筆(Hero:中国製)の小さなお店である.建物の外観はさしずめ「廃墟」.
 【学生参加の実態】
 セミナー時点まではほとんど何もないと言ったほうが妥当か.セミナー中でもその話にはなかなかならない.通訳をやってくれたプネ大学の2人の大学院生(一人は京都大学に留学経験あって日本の大学生協の状況を知っていた)は,真剣に考えない教員の参加者たちに怒っていた.その中で学生参加を考えたいと報告していた人がマンガロー大学の先生.
 【その他】
 セミナー参加者はほとんど教員であったが,いつまでも名簿ができないのには閉口した.司会進行役を無視して勝手にお互い論争を始めるし,なんとなくまとまりの見えないセミナーで終るかと心配したが,グループ作業の報告はしっかりと的を得ているのだから,それはそれで疲れる.
 前述のマンガローの先生はドングレ講師である.1992.11から1993.6まで,京都の立命館生協で研修.

4. マレーシア
 【国内生協組織の概略】
 マレーシアの協同組合の連合会はANGKASA(マレーシア全国協同組合中央会)と呼ばれている.マレー語で宇宙(Cosmos)という意味が込められているそうである.生協の連合会としては1949年に設立されたMCCS(Malayan Co-operative Consumer Society)がある.マレーシアにはクアラルンプール近郊のマラヤ大学をはじめとして6-7大学に生協がある.中高校にスクールコープが約560組織されている.
 マレーシアの生協と日本の生協との関係はあまり深く追求しない方が良いのかも知れない.'86年当時は,MCCSはANGKASA傘下の協同組合銀行(Co-operative Central Bank)の豊富な資金を使って地域に日本型の生協店舗(KOMART:ミニカーケット,スーパーマーケット)の展開を進めていた(KOMART Project:1984年開始).それを日生協が支援していた.しかし不幸にも,1987年にその店舗展開路線は破綻し,1つのスーパーマーケットと3つのミニマーケットが閉鎖され,MCCSは日本円にして2億円もの負債が残り,事実上破産した.
 出店する店舗は少々オペレーションが追い付かないとは言え、レイアウトもしっかりしており周囲の景色にも不釣合いな位,実にきれいな店舗であった.総括は日生協などでやっていると思うので詳細はさける.MCCSとしては生活改善運動の位置付けもあったと聞いているが,店舗のレベルが生活レベルと合わなかったことや,組合員組織のない落下傘方式などが原因であろう.もちろん,マレーシアではこんな落下傘式の生協店舗だけではなく,消費者が自ら生協をつくっている例もある.
 マレーシアの地域生協づくりは,民族的,宗教的な問題が絡んで一筋縄ではいかない.マレーシアは主要に3つの民族のいる国家であるが,例えば,店には豚肉を置いておかないと中国系は利用しないし,逆に置いておけばマレー系が利用しない.大都市内の大店舗では豚肉コーナーを通常の店舗と区分けした工夫をしているが,生協としては店舗運営委員会も開けないであろう.なかなか大変ではある.
 【大学生協事業の概略】
 マラヤ大学生協は教員の生協で,店舗はブックストアと購買部店舗,電気家電の店舗とある.ブックストアも単に小売だけではなく,外国出版物の輸入も手掛け,他の大学生協や市中の本屋に卸も行なっている.マネジメントはしっかりしていると見受けた.利用割戻し率や出資配当は高いらしい.ただし,これは組合員資格を限定し組合員数が少数のためである.「員外利用の禁止」などという概念はない.他の見学した大学生協も大体同じ--当然卸はないが.
  UNIKEBはブックストア中心.他は大学直営かな.
 【学生参加の実態】
 マレーシアでは大学生が大学生協の組合員になることを禁止している.それは70年代の学生運動の結果,政府が決めたものらしい.大学関係者や協同組合関係者に聞くと,当時お金の扱いが杜撰で赤字を出してしまったため,マネジメントへの学生の関与を禁止したと言う.いずれにしろ,マレーシアの大学生協には学生の参加がない.こういう訳もあるので,日本の大学生協との交流の接点をどこに見い出すかは結構大変な検討を要する.その政府の政策を良しと思っている人達だけではないけれども,そういう人達とだけ交流するのでは内政干渉も甚だしく国際問題にもなりかねない.国際交流も大変である.
 1992年5月訪問のクアラルンプール郊外のUNIKEB(Malyasia National University)の大学生協ではでは学生の「準会員的」組織を模索している.マラヤ大学でも同様.称して"CO-OP CLUB".
 【その他】
 一方で,スクールコープでは生徒は組合員だし,理事も選出していると言うのだから,大学の学生参加の禁止はひとえに政治的とも思える.それはさておき,このスクールコープを対象にした学生参加のセミナーをやらないかというのがプリ氏以来のICAの生協担当の人達の意見であった.これも一つの手だなと思う.1992年10月のユースセミナーに参加した学生は16歳,高校生協の理事であった.
 クアランプールの近郊に協同組合カレッジ(Co-operative College of Malaysia)がある.1956年に設立され,1968年に法人認可された.アジアにはこのような施設をもっていたり,連合会に機能を委託したり,協同組合教育の重視が見られる.しかし,店舗の進出の仕方にも見られるように,実態的な意味で生活者の協同組合の意味はまだまだしっかりしてないようだ.

5. シンガポール
 【国内生協組織の概略】
 シンガポールには"NTUC FairPrice Co-operative Ltd."という生協があり,唯一の地域展開の生協である.店舗数は約35店舗ほど,大きな店から小さな店まで運営しており,マネジメントレベルは日本の同規模と比べると遜色無いかそれ以上とも言える.もっとも,この生協は消費者が自主的につくった生協という訳ではない.NTUCという労働組合連合会がその労組員を組合員(13万人)にした生協であるらしい.また,日本以外なら当り前だが,利用は国民一般に開かれている.と言うよりも,それを前提とした店舗規模になっていると言える.
 シンガポールは250万人程の小さな国なので,様々な傾向の生協組織の存立はそんなにあり得ないと思える.政治形態も含めて,そこのところは政府も国民も心得ているのかも知れない.
 【大学生協事業の概略】
 シンガポール大学には購買と書籍を運営するマルチパーパス生協と飲食業協同組合の飲食提供がある.ちょうど市中にある飲食広場みたいなものである.マネジメントはしっかりしていると思う.
 【学生参加の実態】
 不明である.CO-OP CLUBという話もあるらしい.
 【その他】

6. インドネシア
 【国内生協組織の概略】
 インドネシアの大学生協の組織形態は他の国に比べて極めてユニークである.ジョグジャカルタのカジャマダ大学の例では,そもそも学生の自主的活動分野として20程度のユニットが設定されその1つに生協が位置づけられている.大胆に推測すれば,生協の組合員になるということは1つのクラブに入るようなものであろう.この方式はインドネシアの多くの大学で採用している.もちろん専門の職員を採用して運営にあたっている.学生は活動ユニットのどれかに入るというのなら,いきおい生協加入率が悪くなるのもやむを得ないとも言える.何十年か前,大学生協の設立運動した人達は必ずしもこの制度を望んだ訳ではなった.マラン市のブラビジャヤ大学生協の設立の歴史にはそのことが刻まれている.
 インドネシアには130弱の大学生協があり,そのうちの53生協がKOPINDO(インドネシア青年協同組合連合会)に加入している.KOPINDOは1981年に創立され,大学生協やスカウト生協,スクール生協など,若者を構成員とする協同組合がメンバーである.当初は共同仕入も活発でホールセラーの仕事もしていたが縮小されている.会員の1つであるブラビジャヤ大学生協=ジャワ島東部マラン市=もKOPINDOからの仕入は「当初より大きく減少している」と言っていた.KOPINDOの活動財源確保に,大豆の輸入権を政府から得て企業に得るという,いわば商社的の利益を当てているというのには率直に驚いた.さらに収入には政府からの協同組合教育援助金もかなりある.割り切っているのか,政府お抱えなのか.
 インドネシアの協同組合のナショナルセンターはDEKOPIN(インドネシア協同組合連合会)である.もちろん,それにはKOPINDOも加入している.
 【大学生協事業の概略】
 インドネシアの大学生協は規模は大きくないが,事業はかなり手広くやっている.日本の大学生協の事業範囲よりも広いとも言える.多くの生協で通常の書籍,購買,食堂(そんなに大きなものではないが)を運営している.ブラビジャヤ大学生協は,それのみならず,語学教育センター,コンピュータ教育センター,さらには学生寮も手掛けている.学生寮はKOPINDOが資金提供して建設して,ブラビジャヤ大学生協がその運営しているとのこと.ほかの大学にどの位学生寮があるかは不明.
 ガジャマダ大学生協によれば,商品の割り引きは一般の人にはなし,学生には数%,組合員にはさらに数%の割り引き制度があると言っていた.
 【学生参加の実態】
 じつは我々がインドネシアの大学生協と言っているのは"KOPERASI MAHASISWA"(「学生生協」)のことであり,したがって学生の参加は必然である.しかしながら学生の組織率は一般に非常に低い.例えば,ガジャマダで4%程度,同じジョグジャカルタのイスラム大学生協で25%位,ブラビジャヤで40%程度である.学生の活動のユニット制などの理由もあると思うが,いずれにしろこの程度の組織率では生協の社会的評価はビジネスに偏ってしまうであろう.
 ブラビジャヤでは学生理事がブランチ(店舗)の責任者となっている.責任者となっている学生理事の報酬はそのお店の最終利益の何%と決まっているそうである.したがってその学生は利益をどう上げるかに関心があることになる.
 【その他】
 インドネシアの生協加入は,生協に貯金(Saving)することだと言う.実態的にはこれが利子付き出資金だと解釈すれば良い.
 1992.1のセミナーはインドに続いてちょっと疲れる.お祈りのために席をはずすのは宗教上やむを得ないとしても,結局参加者が誰だったのかは分からずじまい.実質は25名だと思う.聞くところによれば,「セミナー参加者は60名」だそうな.セミナー終了証書ははっきり言って乱発.たしかに開会式の時と閉会式,夜のレセプションの参加者は多かった.ちょうど日本の大学で,講義開始時には教室が溢れ,その後水が引いたように閑散とし,試験の時には「こんなにいたのか」と学生が舞い戻る,そんな光景にそっくりであった.単位(この場合セミナー終了証書)をとるのが目的ではないのだからあまり感心しない.

7. 韓国
 【国内生協組織の概略】
 韓国には「信用協同組合法(信協法)」があり,信用協同組合連合会がICAに加入している.
 韓国には生協法がない.自然発生的と見える生協運動もいくつかの潮流に分類しうる.信金系は信協法で利益の20%までが福利厚生事業に使えることに添って存在するらしい.セマウル系は要するにスーパーである.労働組合系のCO-OPが地区毎にあって国が金を出している.統一協会系が地区別店舗を展開していたがほぼ失敗だという.消費協同組合中央会が存在し生協法の制定の推進を行なっている.これらのある程度をまとめて韓国協同組合研究会が組織されている(会長:李さん―高齢のご婦人).日生協はここと連絡を密にしている.
 この間,大学生協連と接触を持っているのは「韓国UNICOOP委員会」「韓国大学福祉厚生協議会(略称:「大福協」)」である.これらの団体(前者が後者の事務局機能を担当)は,韓国における大学の福利厚生事業検討の有力モデルとして,日本の大学生協を選んだという経過である.大福協の発行している雑誌「大学福祉」1992年7月号には文鮮明夫人の写真が出ていてびっくりしたが,記事の内容は「こういうものに注意しろ」であった.大福協には各大学の厚生福祉担当の課長がメンバーとなっている(約50大学).会費も取っている.初代会長には元政府教育部の次長だった張仁淑氏が就任したが,韓國放送通信大學學長に就任されたため(公務員なので),現在は名誉会長である.張仁淑氏は福武前会長の「大学生協論」を読んで,こういう活動ならばと就任された由.現会長は漢陽大學校學生處福祉課長の沈義川氏.
 法人化された生協としては全羅南道光州直轄市にある朝鮮大学校の生協のみ(1992.10現在).正式名称を「(社團法人)朝鮮大學校生活協同組合」という.役員は大学当局が多いらしい.
 【大学生協事業の概略】
 直接に朝鮮大學校に訪問した訳ではないので,大学生協事業という点では不明である.ソウル大學校の生活福祉組合店舗や漢陽大學校福祉課管理店舗,仁荷大學校福祉課管理店舗を見た限りでは,直営の店舗は文具や教材類中心で,コンピューター,靴鞄にスーツ,時計などはテナント導入といったところか.以前の日本を見るようである.書籍運営は大学によって違うかも知れない.オープン・スタイルではなく,全体が地下道などにある専門店街みたいな形式.
 食事提供は大きく4業態でキャンパス展開をしていた.第1のタイプは単品セットメニューのスピード出食方式.値段は7-800ウォン(120円程度).第2のタイプはカフェテリア方式.値段は1500ウォン程度.第3のタイプはセルフサービスではあるが教職員食堂の位置付けで,値段は2500ウォン〜3000ウォン程度.仁荷大學校の教職員食堂では教職員IDカードでのキャッシュレスPOS券売機を使っていた.第4のタイプとはテイクアウト.パンや寿司(弁当という)が定番.
 食堂は赤字基調.経営改善が焦眉の課題.それで日本の大学生協を研究しようというのも動機の一つである.
 学内には競合相手がいて,コピーや自販機を学生会もやっていると言う.理由が分からなかったが,なかなか見せてもらえなかった.
 【学生参加の実態】
 朝鮮大學校はまだ見てないのでどういう運営原則をもっているかが不明.
 大福協には日本側から,協同組合運営の6原則を重々説明はしてある.ソウル大學校の生活福祉組合には,学生会推薦の学生が理事で参加している.「儲けているのでないか」と追及めいた発言が多いと,組合の部長さんは述べていた.
 「消費者協同組合中央会」の一角に事務所を持つ「大学生協建設委員会」という学生の組織があるらしい.学生会系の学生がやっていて,各大学の学生会を通じてコピーや自販機を展開して収益を上げているとはUNICOOP委員会の言.それが結構競合していることになる.
 【その他】
 韓国の協同組合に対する大学関係者の関心は複雑である.協同組合と聞くと日本の統治時代の上からの「支配の道具」として悪い印象を持つ人もいれば,学生運動に金が流れるのではないかと危惧する人もいる.大福協のメンバーからは日本ではどのようにして学生運動と手が切れたのかとよく聞かれる.

8. アメリカ合衆国/カナダ
 【国内生協組織の概略】
 アメリカ/カナダにはカレッジストア協会(NACS)の会員の中に30程の大学生協がある.現在はNACS経由の情報しかないので食堂等の運営は分からない.日本の大学生協と似たような活動していると認識できるのは,オベリン大学生協,コネチカット大学生協,オレゴン州立大学生協である.もっとも,他は分からない.れっきとした生協店舗はハーバード大学やエール大学などにもあるが,これはアイビーリーグの大学のかたまっている地域の単一の生協の各ブランチ店舗である.
 北米には,学生住宅生協(ハウジング・コープ)もある.UCB(カリフォルニア大学バークレー校)で「コープ」と言って学生寮に案内された人も結構いた.NASCO(North American Students of Co-operation)はその連合体である.NASCOは43の地域の会員を擁している,アメリカとカナダの英語圏の学生協同組合組織である.1992.10のICAユースセミナーに学生が参加してきて公式な接触となった.お店を持った会員は3つしかなく,ほとんどハウジング・コープである.
 北米のフランス語圏(カナダ・ケベック州等)にも学生向けコープとその連合体は存在しているらしい.NASCO情報によれば,こちらはストア中心だそうな.
 UCLAやUCBのカレッジストアはコープ(生協)ではない.イギリスタイプの学生自治会(ユニオン:アソシエーション)の事業部であるが,自ずとその社会的活動は日本の大学生協と似ている.
 アメリカの生協は,その国力や他の小売業と比べて,そんなに強くない.その中でもカリフォルニアには十数個の地域生協があり,バークレー生協は名門生協と言われた.そのバークレー生協は1988年に破産申請をし,倒産してしまった.日米で同時出版された「バークレー生協は,なぜ倒産したか(What happened to the Berkley Co-op?)」を読む限りでは,結局協同組合原則からの逸脱ということになるようである.
 【大学生協事業の概略】
 ストア系のコープの事業は他のカレッジストア(CS)と基本的違いはない.すなわち,ブックストア中心に勉学用品や機器,マークものファッション類である.マネジャーのなかにはNACSのリーダーシップのとれる人も出ている.91年度のNACSの環境問題タスクフォースでは大学生協のマネジャーが責任者になっている.
 ハウジング系のコープはまさに学生住宅の大家さんである.カリフォルニアや五大湖周辺,南部等に存在している.一番大きいビルはモントリオールの22階建て,小さいのは15人程度のハウス.食事や掃除などは住人の分担で,「共同生活」(というよりまさに「協同生活」)を旨としているようである.大きいハウスには管理人がいるが,小さいハウスは住人の自主管理の運営である.
 大学生協には実はもっと『ピュア』な店舗もある.以下はUCサンジェゴのコープの概略である.場所はスチューデント・センターの中にある.センター自体の外観は南部のとりで風.その中に"General Store Co-op",約30坪ほどの小さな店で,店舗内には,「非営利で大学からの援助はない」や「Save the CO-OP」の手書きポスターも.隣の一角はフード・コープは豆乳や自然食品などの店,結構昼は賑わうらしい.15坪位の店.店内にはもぞうしを横3枚にして海洋石油基地の環境破壊に反対する主張っが模造紙に書いてあった.本屋は15〜20坪位.環境の本などずらり.大学直営のブックストアができたため一時閉鎖に追いやられたが,再開.学生自治会との関係では以前は一定の援助があったらしいが,今は打ち切られた.「それで経営が大変になったらしい」とはコネチカット大学生協のシンプソン氏の推測.
【学生参加の実態】
 学生も理事になっている模様.コネチカットの学生理事が翌年PIRGの事務局にいって活動しているとのエピソードもあった.
 【その他】
 アメリカの大学生協との接触が主にNACSのコープラウンドテーブルを通じてであったが,1992年にはそれを止めてしまった.主宰していたコネチカット大学生協のシンプソン氏に会って真意を聞き出したのが以下のメモ.
 1992.4のミーティング:なぜコープ・ラウンド・テーブルがなくなったのか.
→「みんな関心もっていない.他のコープは哲学,理念を考えていない.」
「CO-OPという名と組織を使って事業を行なっているだけ.」
「マネジャーにコープ・スピリットがない.」
  「ここに来る人は事業サイドの人達で学生や理事会を考えていない.」
「21世紀には協同の社会システムという考え方が日本にはあるのだが」
 →「私もそう思いたいが,アメリカでは無理だろう」
 40位のCOーOPでマネジャーがコープ・スピリットを持っているのは4つ位.
「来年は"CO-OP SPIRIT ROUND TABLE"を持とう」と励ます.
 ということで,1992年12月の全国大学生協連総会にシンプソン氏を招待した.93年4月のNACS総会でのコープラウンドテーブルでは彼の溌剌としたプレゼンテーションが聞かれた.彼も発奮して大学直営店以外の店舗(Independent Store)のマネージャー百名以上に招待状を送った.参加者は30名ほどであったが,メンバーシップ組織の重要性,事業連帯の重要性,日本訪問の印象などを語り,さしずめ,大学生協という組織の宣伝をしていた.

9. 中国/台湾/ベトナム/ミャンマー/モンゴル
 これらの国には大学生協はない.あるという情報は掴んではいない.
 中国では1989年頃,全国供銷合作総社(全国協同組合連合会)主導で大学生協の設立の機運が高まった.先ずは北京流通大学ということになったが,かの天安門事件で頓挫してしまった.まあ,総社の秘書長が当時政府側支持ということもあったが,それは余り大きな理由ではない.再度、大学生協を作りたいとの声が上がっているらしい.
 上海の上海師範大学,復旦大学を見た限りでは,学生の福利厚生は学生寮と食堂中心である.売店はあるにあるがキオスクに毛が生えた程度.食堂は大学直営であるが学生自治会の代表を運営に参加させている.食堂の経営や運営に関しては全国的な協議体がある(本部は北京).
 1991年春,「台湾に大学生協をつくりたい」という希望が東北大学に留学していた女子学生からあった.留学生のあり方として注目すべきである.
 大学生協というわけではないが,1991年7月の日生協代表団のモンゴル訪問後,50万円相当の文具をモンゴルの生協経由で送った.その後,今年に入って,モンゴルを旅行のデストネーションとして位置付けて欲しいとの希望がモンゴル生協から来ている.学生を擁する大学生協の出番でもあろう.
 
10. その他の国
 オーストラリアのシドニー大学の食堂と購買は学生ユニオンが運営し,ブックストア(まさに本屋)がコープであり,コープチェーンの1つである.このコープは当初シドニー大学の中だけであったようであるが,経営拡大のため地域生協化したものらしい.ニューサウスウェールズ州(NSW)に本屋だけで地域展開している変わった生協である.店舗別に地域運営委員会を組織してる.
 スペインのある大学(名前特定できず)の中にコープのマークのある店舗がある.
 スウェーデンのストックホルム大学に30坪位の小さな軽食をやる学生の生協ができた.
 大学内の協同組合でも教職員のクレジットコープまで範囲を広げると,その数はかなり多いと思われる.今まで述べた国以外でも,バングラデシュ,ギニアからの接触がこの間あった.学生参加の大学生協づくりの契機になるのなら面白いと思うが,よく分からない.
 ポーランドなどにも学生協同組合(Students Co-operative)があったがどうなっただろう.なにか社会体験をコーディネートする組織だったように思う.


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