協同総研「21世紀協同経営論研究会」第1回

協同組合らしい経営を求めて

2000.03.19 岡安 喜三郎

<本報告の目的>
 少子高齢化、環境問題など山積の中で「21世紀は協同の時代」と言われて久しい。「協同組織・運動の経営論はどういうものであるべきなのか?」という課題を掲げて、協同総合研究所が1年間10回の研究会を呼びかけた。「経営学の教科書ではえられない、オン・ゴーイングの協同組織・運動の経営実践を研究対象とする」本研究会に、私の大学生協27年間の経験を報告し、「協同経営論」の構築に寄与したい。
 この文書は、去る3月19日の第1回研究会で報告したものに、当日の論議を受けて加筆修正したものである。

<大学生協の紹介>
 1999年11月末現在、全国大学生活協同組合連合会(以下大学生協連)に加入する大学生協は219会員(10の事業連合、2インターカレッジ・コープをふくむ)である。組合員数は136万人を超え(ちなみに、1985年には158会員90万人)、4年制大学の30%、国立大学の70%に存在し、日本の高等教育機関の学生・大学院学生、教職員の40%超が組合員になっている。
 個別に見れば、大学生協のあるキャンパスでは9割ほどの大学構成員が組合員であり、個々の大学生協は、まさに大学コミュニティの中での大きな存在となっている。
 歴史的に見れば、大学生協は「やっかいな存在」を克服し、「頼りになる存在」への過程にあると言って良い。また組合員構成、役員構成も、「学生生協」から「(教職員も含む名実共に)大学生協」への脱皮をはかった歴史でもある。
 現在大学生協は以下のような社会的意味を持っていると言える;
(1)大学内の福利厚生事業の担当者 >学生・教職員の生活面を支援する
(2)学生・教職員が自ら協同して自立的に生活を改善する組織 >勉学・研究生活も含む
(3)魅力ある大学の創造に貢献する団体 >大学の使命達成の一翼を担う
(4)学生が協同の良さを体験する実践的学校 >毎年卒業 → 協同の良さが社会に拡がる
 大学生協の「協同の輪を広げる」活動は、以下の通りである。
継続的な大学生協設立活動の推進
  毎年5〜7校程度、設立が進行
学生・教員の交流の場「コンピュータ教育協議会(CIEC)」設立
  "Council for Improvement of Education through Computers"
  大学生協の活動から発展、現在は学会登録濟み(1999〜)
ボランティア・ネットワーク組織「樹恩(JUON)」設立
  1995年阪神・淡路大震災での学生のVolunteer活動を経て。
「地域コミュニティの協同」に参画
  地域生協との協力、京都学生Volunteer Centerの活動など
  大学の改革、少子・高齢社会での存在価値を更に高める為に
国際交流活動
  韓国、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、インド:
   (ICAアジア太平洋地域)/
  中国、ロシア:(大学と交流協定)/アメリカ合衆国:(全米カレッジストア協会会員)

 本報告は大学生協総体の路線の展開の記述が目的ではないため以上にとどめ、路線の展開と表裏一体のものとして進んできた実践に基づく、経営論・マネジメント論のついて紹介する。



報告内容

氈D大学生協の経営実践
1.「一言カード」活動
2.生協店舗とは何か
3.戦略的事業分野の設定
4.生協職員の位置と役割
5.組合員、理事会、生協職員、その関係
6.連帯活動
7.利用者の信頼

.協同組合の経営観の転換
1.コマンド駆動型からビジョン駆動型へ
2.ステークホルダーとの関係性の中に自らを置く
3.「小さな全体」と経営資産のネットワーク
4.実践的に検討すべき「チーム活動」

。.まとめ




氈D大学生協の経営実践から

1.「一言カード活動」

 「一言カード活動」は単なる苦情処理でもなく、声を聞いているというアリバイ活動でもない。組合員との関係でのオープン制、説明責任の日常化が重要なポイントである。それは、生協職員内の情報のオープン制にもつながっている。
 組合員の声を単なる「苦情処理対策」という視点から「一言カード活動」へと転換したのは1974年頃からである。その理由は、一つには「苦情」の中には利用者からの改善ヒントがあることに着目すべきであり、二つ目には、組合員は必ずしも「苦情だけを言いたい」のではないということにあったと言える。こういう「苦情」が来たのが一つのきっかけになった。すなわち、「今日は職員にお礼を言いたい、でも『苦情カード』しか店には置いていない。お礼などを言う仕組みがないのはおかしい」
 今では、街場の店・レストランも「お客様の声をお聞かせ下さい」との仕組みが散見できるので、生協の「一言カード活動」も「組合員の声を聞いています」というだけでは何の特色も見えなくなってしまう。
 実際に真摯に取り組んでいる生協の「一言カード活動」の特徴は以下の点に見られる。
 第1に、すべての声に答える。都合のいい選り好みはしない。
 第2に、即答する。むやみに回答を遅らせない。回答は店舗の掲示板に掲示し公開する。
 第3に、一定期間(年1回以上)集約して、すべての内容を冊子として発行・配布する。
 これらを貫徹する点が、メンバーシップ制でリピーターの多い、たまり場となる店舗、すなわち協同組合の店舗での為せる技ではないだろうか。この点を曖昧にし、ほどほどにやっていれば、エネルギーをかけた割には「お客の声を聞いている」という市中の店と変わらない印象になるのは明らかである。
 組合員の声や一言カードの活動の成否は、組合員と生協職員との双方向の信頼関係、普段の業務姿勢に懸かっている。どちらか一方でも相手を信頼していなかったら、この活動は成立する術もない。このことを経営者は十分念頭に入れておく必要がある。
 同時に、この組合員の声や一言カードの活動は単に信頼性の反映だけでなく、信頼性を高めることのできる活動でもある。ポイントは、聞くという姿勢、必ず回答する、約束は必ず守る、実現のために努力する勉強するという普段の業務姿勢である。逆に、聞く姿勢がない、回答はおろそか、約束はうやむや、できないできないの連発ならば組合員がどうなるかは想像に難くない。
 組合員の声や一言カードの活動をすすめてきて実感したことは、全部に答えるという体質づくり、どんな意見にも答えられるという組織体質と、店長が答えられるという内部での政策共有の管理レベルの向上が、他に変えられない将来の財産をつくるということであった。いわば、組合員との関係でのオープン制、説明責任の日常化が成立するようになる。同時にそのことが、生協職員内の情報のオープン制につながっていく点において重要である。

2.生協店舗とは何か

 生協の店舗は単なる「売り買いの場」でもなく、単なる「働く場」でもない。
 大学生協の事業活動は歴史的に見ても、「班による共同購入」ではなく、店舗や食堂を軸とした活動である。一言カード活動を進めていくと、店舗という場は生協職員にとって単なる「売る場」「働く場」ではなくなり、利用する組合員にとっても単なる「買う場」でもなくなってくる。こうして1980年代前半に、大学生協連総会(第26回総会)で「生協店舗の役割」を定式化した。(総会決議では「役割」となっているが、当時提起をした私としては「場」の方がイメージが湧くので、「場」として考えたい)
 生協店舗は以下の4つの側面で生協活動の生きた場(ダイナミックな場)を形成している。
 1.組合員が協同して生活要求を実現する場
 2.生協理事会の事業政策を執行する場
 3.生協職員が生活し,成長する場
 4.生協経営を支える場
 大学生協の店舗を以上のような場として作り上げること、またその過程(プロセス)こそ、その店舗で働く生協職員の仕事である。店長はその率先垂範、リーダーであると位置づけることができる。

 生協の発展方向を見れば、運動の伴わない生協事業はありえないし、事業の伴わない運動も空しいものになろう。それをまとめるのが現実の協同組織の「場」である。
 当時は、生協の社会性は対外的な運動が一身に負って(もっとも、それ自体は重要であるが)、事業は事業となっていたと言っても言い過ぎでもなかった。端的に言えば、組織活動と事業活動とに乖離が会ったことは否めない。例えば一方で「有害商品の追放」の組合員活動をすすめ、他方では指摘される商品が店舗に並んでいる場合も多々あったのである。

 1980年当時、東大生協の専務理事になって感じたことは、例えば「有害商品の追放」運動でも、それまで比較的外に(いわば社会、メーカーに)目を向けてきた学生も、確実に生協内部(店舗での取り扱い)にも同様に目を向けてくるだろうということである。確信に近い推測であった。すなわち、社会の矛盾を訴えて問題を解決しようとする生協理事会の姿勢は、自らの生協経営として店舗にどう生かされているかという面で組合員の視線に晒されることになる。総合マネジメントが要求され、中途半端は許されないということである。
 同様に、店舗運営における組合員参加についても中途半端は許されない。その場合、組合員理事の思いこそが決定的である。組合員理事は往々にして厳しい意見を専務理事等に吐き出す。それは周りの組合員の日常の反応を知っているからなのである。組合員理事からすれば、周りの組合員が『また行きたくなる店舗』となっていることが、理事冥利に尽きるということになる。逆ならやるせない。
 ○出会い,ときめきのある店舗,あきない店舗.期待感と意外感のバランス.
 ○自分たちの声でできている店舗(組合員参加と言われる時のキーワード)
  →どういうときに感じるか.このことは何時でも理事会の話題にできる.
 組合員参加の問題は手の問題ではなく、生協事業・店舗と組合員との関係のあり方として追求すべきものである。すなわち、組合員(利用者)のパワーを事業のどこに置くのか?―事業の中心に置くのか?事業の外に置くのか? 参加の問題を事業成長の手の問題として展開する場合、往々にして経営者自らを変えるテーマは薄められがちである。

3.戦略的事業分野の設定

 組合員(利用者)のパワーを事業の中心に置く大志を持って、事業の組み立て方の転換を図った。 
 大学生協事業は、敗戦後から大きく3つの事業分野(書籍事業、購買事業、食堂事業)で成り立ってきた。いわばモノ中心の提供方法であった。1980年代、「モノからコトへ」が言われ始め、共済事業開始、コンピュータ事業の新展開(HELP計画)もあいまって、新しい事業戦略の設定が求められた。前から言われている「生活から事業を組み立てる」ことを原点において、大学生協として重視すべき生活分野の設定を模索した。それは同時に、組合員とともに事業を作り上げる重点分野を設定し、限られた時間と経営資源のなかで,生協事業を効果的に発展させるために必要であった(第34回総会)。それは以下の4つの分野である。
1.勉学研究生活分野
2.日常社会生活分野
3.自己開発体験分野
4.食生活と健康分野
 この4つの生活分野に対応して4つの事業分野を戦略的事業分野としてすすめることにした。このような設定は各分野毎にマネジメント重点が異なっても良いことを示しているだけでなく、各分野毎の重点の設定で生協の主張が見えること、専門性を持った組合員の参加、すなわち教職員、大学院生の参加が容易になるという点が特徴である。

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4つの戦略的事業分野の設定の意味
○大学(高等教育機関)における勉学教育研究活動を支えることを目的とした事業.
 この分野は大学の情報化・国際化・個性化と密接に連関を持っているとともに,日本の高等教育機関のなかで活動するため,市場動向の後追いではなくもっとも創造性あるマネジメントが必要とされる戦略分野である.
○キャンパス内外の日常的な社会生活の質的向上を目的とした事業.
 常に「生協らしさ」が問われ,環境問題など,個人の価値観やライフスタイルを重視する活動であるので,生活者の情報を常に入手し活用し,新たな価値を発信するシステム構築が最も必要とされる戦略分野である.
○さまざまな体験をし,自己開発をめざす組合員の支援を目的とした事業.
 各種資格取得や英会話,海外や国内の旅行などとともに,ボランティアや社会活動を通じた自己開発プログラムなど将来の事業開発をふくめ,成長を図る分野である.
○組合員の食生活の自立と健康の向上を目的とした事業.
 この分野は大学関係者の関心が最も向けられており,大学との協力関係を築き,学内において「頼りにされる生協」をめざす諸活動をリードする戦略分野である.

(1990年2月専務理事セミナーより)

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 このような事業戦略は、大学生協の労働の性格をどのように変えることになったか。ある労働経済論の大学教授の方が、「このような戦略設定は、社会的には,生協労働を人々の発達・成長を支援する労働と位置づけることになる」と意味づけされた。私にとっては大変印象深いものであった。では,経営論的には? 生協職員の労働を「流通労働」というだけでは、まず組合員の参加は得られない。その理由は以下の大学生協連総会代議員の発言で十分であろう。
 『生協が単に物を安く供給するだけならば,それは一業者にすぎません.私は大学職員として,そういう生協であればかかわりたいとは思いません.私は生協に,大学職員として「意味のあるかかわり方」をしたいと思います.』(大学生協連第37回総会,早稲田大生協代議員発言より)

4.生協職員の位置と役割

 もし協同組合で働く職員の扱われ方が、民間企業で働く従業員の扱われ方と同じだとするならば、協同組合は何の社会的魅力も生み出さない。扱われ方とは労働条件に収斂する話ではなく、その組織における位置と役割の問題である。
 生協職員という場合、それは当然のごとく生協で働く人たち、すなわちパートタイマー・アルバイトを含めての人たちとして話を進める。
 大学生協連は、毎年の通常総会の決議で、生協職員の位置と役割について記述し続けてきた。生協労連大学部会幹事会メンバーと大学生協連専務理事との定期会談もほぼ毎年行われている。同大学部会のセミナーでも、大学生協連専務理事や教職員理事、全国教職員委員長等の話を聞いたり、生協労働者として生協経営を分析しきる力を付ける研修会を開くなど、労働者として主体的に大学生協運動を考える取り組みが見られる。
 生協職員の位置と役割を論議する場合のアプローチは、先ず2つ考えられる。第1は、現場、店舗の位置づけ、すなわち生協職員が働く場の位置づけからの生協職員の位置づけであり、第2には、生協組織と生協職員との関係性のあり方からの位置づけである。
 大学生協では、前述したように店舗を生協活動の生きた場として位置づけ、生協職員の位置づけも明瞭にしていることになっている。
 経験的に言えば、前者が伝統的なアプローチであるが、これは経営数値の浮き沈みのなかで経営側が揺れ動きがちである。この経営側の揺れが生協職員の認識の変化と合っているならまだ信頼感としては救われるが、往々にして経営側の先走り、そして社会的に表明している生協の本来の役割とのズレをもたらし、生協職員の位置づけ論議も揺れ動く。そういう中で、経営側と職員側とに無用な信頼感の喪失を生む場合が多いのが実状である。
 実は本質的に重要なことは、店舗の明確な位置づけを持っていたとしても、現在の社会状況と科学技術の急速な進展のなかで、店舗は単なる品揃えの善し悪し、素材・単品の提供・陳列品揃えだけでは利用者からの満足が得られない局面に入っている。個別の問題に対応できる解決提案(ソリューション)がポイントとなってきている。
 店舗、利用者との接点の場においては、商品部の持つ提供できる素材・単品の業務情報とともに、組合員が生で持っている解決をしたい研究活動や生活場面の情報が組み合わさることによって、実際の利用となる点が新しい視点である。そして業務情報と生活情報とを結びつけるのが店舗のサービスレベルということであり、具体的に店舗の人たちがこれらの媒体の役割を果たすことになる。
 こういう問題解決型のサービスが重視されればされるほど、第2のアプローチである生協組織と生協職員との関係性のあり方に入らざるを得ない。というのは、このような質に関わる情報の把握と蓄積は、生協事業への積極的関与の度合いで、レベルも変わるからである。少なくとも、マニュアル等で事足りる課題ではないは明らかであろう。
 生協職員の生協事業への積極的関与は、本質的に生協職員自身から湧き起こるものであって、他から強制されて成立するものでないことは明らかである。この本質を素直に認識できるならば、積極的関与の問題は、個々の生協職員の生き方とか思いがどの様に事業の中で生かせるかに連動していると言える。
 経営担当者としては、生協事業への積極的関与を一方的に生協職員に強制すること、現在の生協組織へ忠誠の名の下に(露骨に言えば)現在の幹部およびその集団への忠誠を強要することは、人間の尊厳、人格の尊重を詠う協同組合なら避けるべきものである。所詮、長続きはしない。
 生協職員との関係は、パートナーないし真のリーダーシップの関係として形成するのが21世紀に向けた生協経営者の挑戦課題であろう。

5.組合員、理事会、生協職員、これらの関係

 改革なしに組織は存続しない。そして、およそ改革は信頼性の問題である。
 生協の経営の抜本的な改革には、理事・幹部の奮闘はもとより、組合員と生協職員のコミットメント(積極的関与)が決定的である時代になっている。生協再建にとっても同様であることは言うまでもない。経営の実態数値の悪い生協は、そのビジョン(政策)適合性や技術力の評価だけではなく、先ず以て役職員の不団結の有無、組合員・生協職員・理事三者間の信頼性の有無を検証してみる価値がある。要するに改革に必要とされる生活協同組合運営の組織的執行力を支える核の部分だからである。
 大学生協は、1950年代からの「専従店長制」「専従専務理事制」移行で、「事業活動」と「組織活動」に分け別々に強化し発展してきた歴史がある。分業である。そのことによって外部の進んだ知識、経営方式を吸収してきた。地域生協も同様であろう。
 分業には、「事業と組織の統一」という課題が付加された。これは生協らしさを追求する人たちの真剣な課題ではあった。ただ、この「統一」は,実践的に見れば、「事業」と「組織」の両方が見えて影響力のある一部幹部(理事クラスと本部スタッフ)のみの課題にしかなり得ない弱さを持っている。
 また、上下間の「分業」が、「私決める人、あなたやる人」の風土になり、縦割り「分業」によって「部署相互の口出し無用」の風土になってしまったら、協同組合としてはその組織はもはや死んでいる。多くの構成員がそう望んでいなくとも、そうなっていく生協組織や連合会組織を、80年当時見てきた。
 この克服過程はどのようなものであったか?
 大学生協には、組合員組織として総代、学生委員会、教職員委員会等が存在している。一般的にこの委員会のリーダーが理事になっている。実は「分業の進展」によって、この委員の人たちと店舗にいる生協職員との生の交流が少なくなる傾向であった。ここで分業があったとしても、生協職員の会議や合宿に組織委員会の人も参加する、組織委員会の会議や合宿にも専務理事以外の生協職員が参加する、この動きは近年盛んになりつつある。時には、生協職員と組織委員が一同に会して、自分と生協の関わり、生協の直面している問題などの議論、交流も行っている。
 このような流れは、全国レベル、地域レベルにおいても進んできており、これが後述する「地域/全国センター」構想推進に大きな役割を果たしたと思っている。
 直接顔を合わせる交流は必ずといって良いほど共鳴・共感を生む。組合員・生協職員・理事三者間の信頼性は、このような顔の見える交流の蓄積の中で培われる。この手の交流は「一体感」を自発的に生み出し、少なくともさまざまな改革力を持っている。この点は私の大きな確信である。
 協同とは「やらせる活動」ではなく、「一緒にやる活動」である。少なくとも一緒に時間がとれなくとも、下記の経営哲学は大いに参考になると思っている。
 『顧客との関係は従業員との関係をもって始まるという哲学が私たちの信念です.従業員の顧客の扱い方は,従業員自身の経営側からの扱われ方を反映します.』(FedEx上級副社長ジム・パーキンス氏、1992年NACS刊「人々を通じて卓越さを達成する〜90年代のリーダーシップの挑戦」より引用)


6.連帯活動

 大学生協の「連帯活動」は歴史的には「専従役員・幹部職員の連帯活動」および「学生リーダーの交流」と言えるものであった。この様相は1970年代に変わりはじめた。70年前後の「学園紛争」を経て、大学生協連は「学園に広く深く根ざして」という基本路線とも言える方針を総会で確認したが、同時に大規模国立大学生協の教職員委員会が他の教職員委員会との交流を開始した。10年ほどの自主的交流の経験を経て、大学生協連内に「全国教職員委員会準備会」が発足し、現在は全国教職員委員会、各地域の教職員委員会が組織されている。もちろん、「学生生協から大学生協へ」という各単位生協の改革と連動していたことは言うまでもない。
 事業連帯活動は、規模が限定される大学生協にとっては必須の課題でもあった。1960年代の「同盟体」(未法人)活動を経て、1970年から京都、東京で法人の事業連合が発足し、現在は全国を網羅する形で10の事業連合が存在している。事業連合は全国大学生協連の「組織内組織」として位置付く。もちろん、大学生協連会員の事業連合に対する加入・不加入はICAの原則通りである(念のため)。

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(全国大学生協連と各地域事業連合との協定書より)
1.大学生協連と事業連合は、ともに協力しあい、参加会員生協が総合的に発展できるよう尽力する。会員生協の総合的政策にかかわる事項については、大学生協連がこれを行い、事業連合は、その経営・業務の分野の事業を行うものとする。また、事業連合は大学生協連の会員として、その事業を遂行するにあたり、大学生協連と協議しつつすすめるものとする。
2.3.(略)
4.事業連合は、大学生協の経営・事業活動の発展のために先進的・中核的な役割を果たすべく努め、特に大学生協連の行う共同仕入活動の前進のために積極的に貢献する。また事業連合は、会員組合への商品供給に関して大学生協連の全国共同仕入商品の普及拡大に努力するとともに、地域的商品等については大学生協連との協議のもとにこれを行うものとする。

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 当たり前だが、集中するだけが連帯ではない、事業連帯の力は店舗に生かされなければ(組合員の利用の場面に生かされなければ)意味がない。現在の事業連合は各地毎に歴史的・規模的な違いによって一概には言えないが、90年代には規模のメリット、集中のメリットでの事業先行型動員は「役割を終えた」と判断できる。90年前後から、事業連合の官僚化、経営判断の遅延、単協・組合員軽視、生協職員の自発性の低下、単協をまたがった専従者の権力ピラミッド構造等々、弊害がさまざまな場から指摘されるようになった。
 その克服の意思が、地連と事業連合の機能と役割を有機的に統合しながら、各単位生協が連帯活動のリーダーシップを発揮すべき「地域/全国センター」構想となり、21世紀を前にした1999年10月、新しい連帯構造が発足した。旧来、地連の代表理事は80年代前半まで学生が、それ以降90年代終了まで専従役員(=各単位生協専務理事)が務めていた。2000年を機に会員生協のトップである理事長クラス(教員)が各地域センターの会長として連帯活動の要に就任することになり、現に就任している。
 連帯活動というか連帯組織の重要な存在価値の一つに、会員生協の教育の推進、学習活動の支援がある。現在の大学生協の「教育学習体系」の内、Off-JT、セミナー関係は以下の通りである。
○ 新入職員研修会(毎年、各地毎)ーー協同組合原則、仕事の仕方、帳票の書き方など
○ 「予算研修会(名称は各自)」(毎年、単協)ーー年度政策、予算の全貌、重点課題
○ 店長研修会(毎年、各地毎)ーー店舗マネジメント、経営の見方
○ 中堅セミナー(隔年※、全国)ーー大学生協のビジョン、マネジメント、経営の見方
○ 新任専務理事セミナー(隔年※、全国)ーー専務理事の位置と役割、労働法関係、総務関係
○ 各部門別交流セミナー<書籍、フード・サービス、共済別>(ほぼ毎年、全国)ーー政策交流
○ 共済実務担当者会議(毎年、全国)ーー共済の理念と原則、共済のしくみ、給付の実務
○ 全国学生組織活動研修セミナー(毎年、全国)ーー協同とは、平和とはなど
○ 新入学生の生協スクール(毎年、各地毎)ーー生協とは、大学とは、学ぶとは
○ 夏のセミナー学生リーダー版(毎年、全国)ーー学生リーダー養成
○ 理事長・専務理事セミナー(毎年、全国)ーー経営問題、独立行政法人化問題など戦略課題

7.利用者の信頼

 利用者(組合員)は、どういう時に生協事業を信頼するのか?ここでは、ブックカバーの話、コープ商品、写真フィルム事故について紹介したい。
 その前に、もし生協がマイナス・イメージを持たれていると、新たな改革を進めようとすると結構な壁に突き当たる。良い生協を作ろうとしても、組合員理事、学生委員、教職員委員、生協職員も大変である。旧来(20年以上前)のマイナス・イメージは「店が汚い」「職員が横柄」「生協は政治的」などが代表的であった。もちろん、マイナス・イメージがすべてではなが、現在ではこれ自体もかなり改善されてきたと思っている。
 これは東大生協時代、私が「生協経営は組合員に支えられている」と実感した、ささやかではあるが本当の話である。昼休みに食事をしようと事務所から出て東大出版会のビルに向かっていたところ、前を歩いていた2人の学生さんの話を聞いてしまった。「何をそんなにブックカバーを持ってきたんだ」「部屋の本のブックカバーをきれいにするんだ」「ばかだなぁ、そんなに持ってきたら生協が赤字になるじゃないか」。
 思わず前に行って2人の顔を見たが、全く知らない学生さんであった。私の胸が熱くなったことは言うまでもない。これで専務理事が赤字を曖昧にしているようだったら申し訳ない。
 利用者の信頼を作りあげるのは伝統的に商品に対する信頼である。日本生協連・地域生協だけではなく、大学生協連も全国連帯の証として、文具を中心にコープ商品を開発しているが、コープ商品は開発過程から組合員が参入し、仕様や使い勝手などを組合員の中で確かめながら作り上げる点でその信頼は強いと言える。近年はPL法も制定され、ややもすると開発基準の優位性も見えなくなってくるきらいもあるが、今後とも商品に対する信頼が生協に対する信頼につながるであろう。
 利用者の信頼は、単に信頼のおける商品の提供だけではなく、様々なトラブル処理の中で良くも悪くも鮮明になる。大学生協は写真のDPEサービスも行っているが、ある時(17-8年前)組合員のヨーロッパ旅行の撮影済みフィルムを提携ラボがダメにしてしまった。今は知らないが当時の業界の保障基準は「代替え生フィルム」をくれるだけである。当の組合員はがっかりしながら憤懣やるかたない。
 そこで自主的に生協で見舞うことにした。ヨーロッパ旅行代金の何割かを渡すことにしたのである。我々はフィルムというモノをダメにしたのではなく、思い出と信頼をダメにしようとしている。金には代えられないが二度とそういう不始末はしない、起こしたくはないという決意の分かる金額が必要であろうと覚悟したわけである。組合員も驚いたが、その後も生協を利用してくれた。
 生協が商品・サービスの提供を止めない限り、何らかのトラブル発生は避けられない。そこにはPL法とか行政・業界基準の遵守だけでは利用者(組合員)の信頼を失う場面が多いことを肝に銘じておかざるを得ない。


.協同組合の経営観の転換

 伝統的な経営手法、経営論とは、「マネジメントは命令や権限、統制に依存するし、重要視されるのは力と権限である。各々の部分や機能は分析可能で、別々の取り扱いが可能。組織は上級の幹部がリードすべきもの。かくして人は組織目的に合うように訓練される、等々」の考え方、およびこれらを根底に置いた一連の業務とそのサイクルを言うことにする。
 もし、この伝統的な経営観をそのままにして外への社会運動だけで協同組合の価値を高めようと試みても、21世紀の新しい協同をリードすることができないばかりか、民間企業の活動からも大幅に立ち後れることになろう。

1.コマンド駆動型からビジョン駆動型へ

 1994年12月に採択した「大学生協21世紀ビジョン」は、21世紀に向けて社会と大学がダイナミックに転換していくことに対し、具体的にどの様な活動を推進すべきか?この模索の中から経営観の転換を図ることなしに、21世紀に価値ある大学生協になれないとの認識と決意の中から策定された。
 第一に、生協役職員の奮闘は勿論としても、いわゆる内部努力だけでは現在の変化の中で存在感を失いかねないこと。したがって、生協に関心を持つ多くの人たちの積極的関与(コミットメント)をもたらす生協自らの将来構想、ビジョンが必要であること。それを表明し、大学生協役職員・組合員のみならず、大学生協に関係するすべての人々の共感を得る活動が大学生協の発展を確実にすること。
 第二に、環境問題や高齢社会の進展、情報社会の進展などが、学生や教職員の生活意識、生活の有り様に着実に影響を及ぼし、生活要求や関心も変わっていること。したがって、変化に対し真摯に着実に対応することが日常活動として大切であること。その時、活動の方向性が見い出せる鮮明なビジョンの存在こそ各人が自主的自立的に活動する際、有効であること。
 つまり、「ビジョン」は、生協役職員だけが共有するだけではなく、より多くの人たちの共感できるビジョンでなければならないわけである。
 生協経営の目的は、生協の目的に外ならない。さまざまな生活ビジョンを自ら持っている組合員が自らの生活ビジョンを実現するために協同している中から、生協のビジョンが作成される。生協のビジョンは組合員のビジョンであることに、その意味がある。ビジョンは決してその後の「踏み絵」として使われるものではない。
 大学生協連で1995年に組織した「大学生協経営評価基準策定委員会」は同年11月に「大学生協自らのビジョンの実現こそ大学生協経営の目的」と明記した答申を出した。同委員会は、教員の委員からの社会的な注目を浴びている企業の事例研究報告、第一線の経営幹部(シャープ役員)を招聘した研究会の開催、経営行動をテーマにした企業幹部(前川製作所)の講演会、等々を通じて今求められる大学生協の経営評価とその基準について検討した。
 ここで注意すべきことは、「ビジョン」という単語を単に「長中期計画」の代わりに使い、新しい時代にふさわしい経営観・組織観を提起もせず、「ビジョン」を生協の役職員だけが、ましてや経営幹部だけが実感していても新しい力を持ち得ないことである。
 生協職員組織においてもビジョンを共に実現する意欲と行動を経営活動の原動力とする“ビジョン駆動型”を、旧来の「指示命令、報告」の“コマンド駆動型”に代わって進めようというものである。

2.ステークホルダーとの関係性の中に自らを置く

 大学生協は様々な人たちとの関連の中に存在し、生協事業は組合員や大学関係者、取引先、生協職員、連帯組織など、さまざまに関わりを持つ人々やグループ(すなわちステークホルダー)に支えられてきた。
 大学生協が「ステークホルダー」(利害関係者)という考え方を自らの経営観に持ち込み、重要な概念として検討を開始したのは1992年である。くしくもICA東京大会に向けたベーク報告においても、「興味ある道」としてカナダの「ステークホルダー・モデル」の協同組合が紹介されていた。
 80年代前半に全国に拡がった「組合員の声(一言カード)」活動は、組合員と店舗との積極的関係をつくる大学生協の原点を具体的に示す活動であるが、その上に立って、ステークホルダーとの積極的な関係づくりが21世紀の大学生協の活動を保障すると認識している。
 これらの人々やグループは、関わり方の違いによって、生協への意見も異なれば視点も異なることは言うまでもない。だからこそ、これらの人たちを「生協により多くの視点を提供してくれる、見えてない何かに気づかせてくれる人たちである」と位置づけられるか否かが、すなわち、ステークホルダーとの新たな関係をつくり出す意欲をもって行動するか否かが、おそらく今後の生協の社会的存在を決定的づけることになろう。
 この関係づくりは、経営資源の活用場面で明瞭になる。旧来、経営者はより多くの経営資源を活用するためには、それを所有ないし支配する動機にかられたが、本来、ステークホルダーはさまざまな経営資源を所有していて、その活用・処分はステークホルダー自身の意思であり、本質的に他から強制されない。実は生協職員との関係もその通りである。すなわち、ステークホルダーとの関係性が活用できる経営資源の質と量を決定づけることになる。
 生協の経営者にとって、最も身近で重要なステークホルダーの一つ は生協職員である。ステークホルダーとの関係は、摩擦解消に時間が割かれる関係なのか、事務的な取引関係(雇用関係)なのか、パートナーなのか、はたまたそこにリーダーシップをとる関係なのか。この関係を意識せずして21世紀への価値ある協同組合事業はあり得ない。

3.「小さな全体」と経営資産のネットワーク

 大学生協は、地域生協や市中小売業より小さな事業体が一般的である。全国的に見て大学生協連会員の約三分の二が年間事業高10億円未満である。それは大学自体の規模、キャンパス人口などに規定されている。小さいキャンパスでの小規模店舗の業務展開には商品の品揃え一つとって見ても、一定の困難性がついてまわっているのが現実である。
 しかし、大学そのものは規模の大小で各々の社会的貢献が変わるわけではないとの認識を持っている。社会や大学の変化が激しければ、学生や教職員の生協への要望も既存の事業範囲を前提としない。また、先に述べたとおり、大学生協のビジョンも組合員のビジョンである限り、店舗の規模の制約を受けることはないはすである。
 したがって、定型的なサービスを超えた当意即妙のサービスを組織的に実現することを想定した「小規模店舗での大きな貢献(サービス)」が21世紀に向けた大学生協の戦略的挑戦課題として位置づいた。しかも、この課題は小規模生協だけのものではなく、全ての会員生協、事業連合、大学生協連の課題、すなわち大学生協運動総体の課題である。
 1995年12月の大学生協連・全国的事業連帯のデザイン検討委員会答申は、大学生協の店舗を「生協全体を表現する『小さな全体』」と位置づけようと提起した。この言葉自体は多義性に富んではいるが、これには大きく三つの意味があると認識している。
 第一に、それは、1982年の大学生協連第26回総会で位置づけた、店舗の4つの場(組合員が協同して生活要求を実現する場、理事会が事業政策を執行する場、生協職員が生活し成長する場、生協経営を支える場)としての活動をベースにして、この間の事業連帯活動の発展、情報ネットワークの発展を組み込んだ位置づけであるということ。
 第二に、「事業連帯の力は組合員の利用の場面(通常は店舗)に生かされなければ意味がない、何のための生協の事業連帯か」という組織のあり方の原点を常に見直すことの出来る力を持っていること。これは、各事業所、事業連帯組織を経営資産のネットワークとして再構成し、それを店舗が活用するという新たな事業連帯の段階を展望できるものである。
 第三に、ビジョンを持った「小さな全体」への挑戦は生協職員の意欲と成長を育むとともに、意欲と成長によって組合員の積極的関与を引き出し、「小さな全体」の実態をつくるということ。必要に応じて他の事業所と協力・協同することがさらに充実した実態をつくることになる。
 店舗は、組合員にとっては自らの要求や願いを実現し、生協職員にとっては組合員の要求や願いを実現できる、小さくとも大学生協全体の力が生きる「小さな全体」として位置づけが出来るし、こんごの大学生協の存続と発展は、この「小さな全体」としての活動が出来るかどうかにかかっていると言えよう。

4.実践的に検討すべき「チーム制」

 チーム制は、過去の清算か、それとも未来型組織への挑戦か?
 チーム制は「大学生協21世紀ビジョン」の策定時期から発想され、模索が始まった。
 「連合会の組織をどう変えるかというのは、組織改革のフェーズとして、3段階を想定しています。フェーズ2まではとにかくすべての部ですぐ努力してやろうということです。現実にそう進んでいる部もあるわけですが、Phase 3 のところは、とにかく一定の研究もしなくてはなりません、「チームの使命と数値責任のあり方の研究を早急に」ということだろうと思います。
 フェーズ1は、端的に言えばコミュニケーション問題です。決める前に意見を聞くことの大切さです、どんなことがあってもです。決めたあとにも問題があります。『何を決めたか、何を決めなかったか』を明確に、かつ公表しなければいけない。
 フェーズ2は、『チーム』制の運営。政策議論は全員フラットであることをポイントとしています。ピア・ディスカッションという言葉がキーワードです。職場でいえば店長、連合会でいえば一つのユニットが部になっていますから、部長のところで、フラットな政策論議の運営としてきちんとできるかどうかという問題です。そして、チーム組織の生き残りは、そのチームのビジョンが他のチームやステークホルダーから共感されなければいけない。具体的には何でこのチームが存在しているのかということが周りから分からなくてはいけない。例えば連合会でいえば教職員委員会とか学生委員会の人たちからみて、分かるようにすることが必要になってくると思います。」(1995年7月)
 ヒエラルキー組織の最大の特徴は結局「支配の連鎖」である。チーム制移行前のある時、一般職の職員から「部長は私にみんなの前で人格無視の詰めをする、ひどいと思います」との嘆きがあったが、しばらくしてパート職員から「○○さんからひどい扱いを受けた」と言っているパートさんの伝言を聞いた。○○さんとは先の職員と同一人物である。
 大学生協連事務局組織は、現在「部課長制」が廃止され、チーム制組織となっている。部長はいなくなり、チームリーダーをチーム員が自主的に選出することになっている。チームの使命もチームが自主的に決定し、全国総会で確認している。チーム自体に前述3の「小さな全体」の運営が求められている。
 チーム制移行に付随する規則の変更も結構重要である。個人の行動経費基準は今までの段階制から、役員・幹部・職員を問わずすべて同一になった。
 加えて言えば、チーム制にしたからといって経営数値は悪化しなかった。逆に経営問題が全員の認識になって、経営がより明瞭になり、経営悪化の原因除去が納得のいく形で進んだところがある。
 もっとも、良いことずくめではない。一つには、もともと連合会組織だけのものではない構想ではあったが、形としてチーム制を試行しているのは大学生協連事務局組織と一つの地域事業連合事務局組織だけであること。二つ目には、連合会会員組織から、「やって良かったね」とまで言われているわけではないこと。とくに移行当初は「誰に連絡して良いか分からなくなった」「何か責任が曖昧になっている感がする」と言われ続けた。これは役割分担役割の問題とも言える。
 実はチーム制になって分担がなくなったというわけではない。要は「他律的役割分担」から「自律的役割分担」 へ移行である。換言すれば「上からつくる組織」(ツリー型)から「横を見据えた組織」(ネットワーク型)への移行を試行していると言える。
 今のチーム制組織は、「過去の清算」か、それとも「未来型組織への挑戦」かと問われれば、明らかに「未来型組織への挑戦」である。



。.まとめ

 現在の経営実態は過去の実践の結果であり、現在の活動が未来の実績をつくる。マネジメントの神髄は何かと問われれば、私は「変革し続けること」と答えたい。「変革」はもちろん、「し続ける」ことも決定的なキーワードの一つであると確信している。
 変革なき企業が衰退していくのと同じく、変革なき協同組合も衰退の道しかない。変革なき経営が未来を保障することがあり得ない以上、変革の力、およびその源泉はどこにあるかを見据えることが経営活動の根幹となろう。
 その点で、大学生協のおいて長い間経営を担当してきた体験から、協同組合経営は以下の要素を変革の源泉としてまとめることができる。
 1.ビジョン(みんなが実現したいと思う確かな未来像、ICA声明と連動)
 2.技術力(変換する、変化を起こす技術力)
 3.関係性(「顧客」を初めとする様々な「利害関係者(ステークホルダー)」との信頼関係)
 4.リーダーシップ(上記三点をまとめ上げるリーダー)
 この1,2,3のどれが欠けても経営活動に不合理が生じる。時間軸で見れば、4の存在が不可欠である。そういう点では4つが協同組合経営の要素となる。
 夢のない組織、夢を感じない制度には誰も積極的に関与しようとは思わない。レイドロー博士も「どのような組織や制度も,まず第一に,人々が信じ,支持したいと思う考えや概念にもとづいて設立される」と言い切っている(1980年ICAモスクワ大会)。夢があったから、一言カードも店舗の「場」の位置づけも、4つの事業分野も活動の軸に据えられたのだと思う。そして21世紀への夢(ビジョン)は新たな「経営観」を模索する動機でもあった。
 しかし、夢があっても具体的な技術、マネジメント手法が自らのものになっていなければ、夢は単なる絵に描いた餅になり、多数の関係者を無駄な労力の中に陥れることになる。大学生協での「新規事業の失敗」の原因は、必ずこの問題がついて回っている。一方で高い技術はビジョンへの信頼性を増す。特に今後、小さな全体と経営資産のネットワークを形づくるマネジメント手法が求められてこよう。したがって、これらを獲得する教育と学習が重要になろう。その内容は、新しい問題解決技術とコミュニケーション・システムということになる。
 ステークホルダーとの関係性は、今や多くの経営学で語られるようになってきた。この問題で協同組合が欠かしてはならないことは、ステークホルダーとの双方向評価の繰り返しによる信頼関係の確立である。この双方向の繰り返しが容易なところに協同組合形態の優位性があると言って良い。さらに重要なことは、ステークホルダーとの関係性を検討する主体は決して経営者(集団)だけの問題ではない。個々の部署単位、個々の働く人自体が周りとの関係性の中にあるということである。
 協同の場で働くととは何か? 働く場での協同とは何か? この出発点は以下の言葉に収斂される。
 「あなたが常にわたしにとっての資産であり、資源であるためには、わたしがつねにあなたの資産であり、資源でありつづけることが求められます。この気持ちを一人ひとりがもつことができれば、大学生協の未来を切り開くことができるにちがいありません」(大久保厚「経営評価基準策定委員会に関わって学んだこと」より。大学生協連発行「UNIVCOOP」1995年12月号)
 これら総体を推進するリーダーはマネジメント観の転換が必要となろう。すなわち、マネジメントは命令や権限、コントロールに依存するという伝統的マネジメント観から、マネジメントは影響力、専門的技術、創造性、模範、共創、信頼を通じて存在するという21世紀にふさわしいマネジメント観への転換である。

 最後に協同労働について述べたい。協同労働へのアプローチの実践的切り口は、上記の特に「小さな全体と経営資産のネットワーク」「チーム制活動」にあると思える。形式が雇用労働であろうがなかろうが、協同労働へのアプローチは実践的に可能であると確信する。


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