協同を体感する大学生協 |
協同とは? 協同組合とは? そして、生協学生委員会とは? |
講演者:岡安喜三郎
(全国大学生協連顧問・全国労働者協同組合連合会)
こんにちは。30年弱にわたり、大学生協連の岡安です、と言い続けてきたのですが、今は変わりました。変わろうが変わるまいが、どういう場で働こうが、私自身が持っている人生ビジョンには変わりがないということだけは言っておきます。
先ほどの話やレポートを見て、私も幾つか考えるところがありました。生協と言われたときに何と説明するだろうか。食堂があって、本屋があってという話をするのが普通は一番わかりやすいですね。確かにそれは重要なことなのですが、果たして生協というのはお店のことかと言われると、そうは言い切れません。この問題が大きな中身になります。
「学生委員会が生協そのもの」
ちょうど裏腹のところにあるのが学生委員会とは何なのだろう、学生委員会と生協との関係という話もあります。いろいろあるのですが結論だけいいますと、「学生委員会が生協そのものなのだ」というのが一番重要なことです。皆さんは組合員でしょう。理事になっていなくても学生委員として生協が好きだとか、生協の活動におもしろみを感じて発展させようと思っているわけでしょう。この人が生協の代表でなくてだれが代表だと思いますか。内部的に学生の組合員から見たときに一番わかりやすい生協の代表者は、学生委員の人たちなのです。この人たちが生協について語ることが、学生にとっては生協そのものを語っているということなのです。これが一番重要なことだと思います。変な言い方ですが、あなた方が生協なのです。生協というものが別にあって、それとうまく合うかなと考えるのではありません。こういうことだったら生協でできるかもしれないと思ったとき、これだったら生協でできると言い切って組合員と一緒に何かをやり出すということが可能です。ただ、お金をかける場合は勝手に生協のお金を使うわけにはいかないので、ほかの学生委員の人たちと少ない金をどう使えば有効なのかという議論は当然必要です。それが必要でないときは、生協でやれるのではないかということを実際にやれる組織であったし、今までもずっとそうだったので、多分これからもそうだろうと思います。
この中には当然学生委員であり生協の理事の人が多いはずです。理事会で生協が経営の危機だという議論をし終わったときに、自分がどういう行動をすればいいかというイメージがわく人はどのぐらいいるでしょうか。専務理事や店長がこういう行動をするというのはある程度理事会で議論されると思うのですが、理事の一人一人、先生、学生を含めて、こういうことをすればいいとイメージができる人がどのくらいいるのかということです。去年の全国学生委員のある人は「理事会の後に自分が何をするかというイメージが全くわかない」といっていました。そのときは、経営を改善はできないのかもしれないなと思いました。理事会が専務理事の行動、店長の行動、店舗の行動について決定をしてやっているだけでは経営の危機は克服できません。
なぜでしょうか。生協は、経営する専務、店長という人のものではありません。みんなが生協だから、みんなの中にこの行動をすればいいということがあればいいのです。経営が悪い、いろいろ大変だ、組合員の利用が減っている、では宣伝をしなくてはというふうに入っていけば、自分たちが行動することのイメージはビラまきぐらいしかわかないと思いますが、理事の一人一人が理事会で、周りの10人の意見を聞いて集めてみようという行動提起をすれば、みんなは動けるわけです。実はそれが大切なことです。生協というのは、組合員の日常の生活の関心事にどれだけ接点を持ってお店の事業をしているかということです。お店で生かせる場合は生かさなくてはいけないし、お店に生かせないような悩みや、みんなと交流したいという話などは学生委員会やいろいろな活動を通じてやらなければいけません。いずれにしろ組合員のいろいろな関心事について、常にそこに入っていくということが生協そのものなのです。
協同組合にとって事業は手段ですから、そういう関心事に基づいてみんなの生活の向上を図るという形でつくられています。経営の危機といった場合にもそういうふうに見られるかどうかということだろうと思います。
皆さんからすると、生協のこと、平和のこと、いろいろなことを考えたとき、組合員の意識が低いと感じるときもあるかもしれません。レポートの中にも少しあり、確かに私もそう思います。生協で活動している人から見れば、組合員の生協に対する関心は薄いと言えます。当たり前です。組合員の方が関心が強くて、ここにいる人たちの方が関心が薄いなんていうとんでもないことことが起きたらすごい組織ができ上がってしまいます。残念ながらそうはいかないということです。生協が環境やいろいろな活動をした場合、環境については学生委員の方が関心が強いかもしれません。生協がやっていることから相手を見れば、相手の方が関心が低い、意識も低いといえるかもしれませんが、その組合員はいろいろな形でもっと豊かな生活を送っているわけです。そこと比べたときにどうなるかというのはまた別の問題です。そういう見方で見ていく必要もあるのではないかというのが1点目です。
専務や専従さんは、学生は好きなことばかりやって生協のことをやってくれないんだ、とよく言われます。学生委員会が楽しくやっていることとは関係なく、これはいいか悪いかと1つ1つを専務や専従の方々が見ていると、その学生委員会は組合員に対しても同じような見方をしてしまうということがあります。自分が置かれていることと同じことをついつい相手にもやってしまうということが起こりがちです。これはある会社の従業員の顧客の扱い方は、その従業員が経営者からどう扱われているかということが反映します。経営者から人間的に扱われている職員であれば、その職員はお客さんを人間として扱います。経営者の指揮命令の中でロボットのように動くという関係なら、職員はお客さんについては買ってくれるということでしか接点を持たなくなります。そういう点で、学生委員会の人はもっと主体的に「学生との関係で生協をつくる」ということに自信を持ってやってもらいたいと思います。
協同と協同組合 〜協同とは何か?
「協同と協同組合」と書いてあります。「協同とは何か?」とは必ずみんな質問するし、自分自身も問いかけるし、人にも問いかけたい言葉だと思います。一言でいえば、「ほかの人と何かを一緒に何かをやり遂げること」、これ以外の何ものでもないということです。旭川や神戸やいろいろなところを訪問して「協同とは」という話をするときに、私自身はこう考えます。みんなも協同と考えることはいろいろあると思いますが、それを出し合うことが、そもそもそこに集まった人たちの最初の協同みたいなものではないかということを言いました。私もそういう中に参加して、ほかの人と一緒にやり遂げることだろうと思います。そのことはだれでもできます。そこに「(徒党を組むのも「協同」の一種だが)」と書いています。あまりいい例ではありませんが、クラスの中でいじめをするときに、たった1人で数人をいじめるという器用な強い人はいません。普通は徒党を組んで1人をいじめます。おやじ狩りだって1人ではなく必ず何人かでやっています。暴走族もしかりです。一匹オオカミというのはものすごく貴重です。人間である限り何かをやろうとするときには、一緒にやろうという気持ちは必ずどこかにあります。それが悪く出るのもよく出るのも、一緒に何かをするということだろうと思います。そこで次にどう考えるかです。
世界の協同組合
生協も協同組合です。協同組合は世界にたくさんありまして、数えると世界の7億人が協同組合に入っています。その中でもやはり生協が大きく、地域的にはインドや中国は人口が多いですから半分がアジアです。日本も多い方です。いろいろな種類の協同組合があります。知ってのとおり農協も協同組合です。銀行委員会と書いてあるものは、日本でいえば信用組合や労働金庫のようなもので協同組合です。エネルギー委員会というのは変わっていまして日本にはこういうコープはないのですが、アメリカでやっている電力コープというものです。アメリカは原発反対の国民が多くて、自然を使ったり、あまり自然に影響を与えないような形で自分たちで電力をつくろうということをやっている協同組合があります。第1回目の会議がアメリカで始まりました。漁協はわかりますね。国際協同組合保険連合、これは直訳ですが、共済のことです。日本には全国労働者共済生活協同組合連合会、全労済があります。新聞で、銀行振り込みで加入できますと出ている国民共済などです。住宅委員会というのは、日本では住宅生協というものです。旅行の専門委員会もあったりします。健康委員会とは日本でいうと医療生協です。こういうものが世界的にあり、いろいろな種類のものがコープという形でやれるようになっています。株式会社がいろいろなことをやるのと同じようにコープも自分たちの意思で関心事に基づいていろいろなことをやれるということです。共通した関心事に応じて協同組合がつくられるということです。労協というのは労働者自身が協同組合をつくっていくということです。
協同組合のアイデンティティに関するICA声明について
「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」と書いています。これは1995年に全世界の7億人の代表が集まって、協同組合の原則はこれだということをつくった中身です。価値というところに「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正そして連体の価値を基礎とする。」「それぞれの創設者の伝統を引き継ぎ」という文言だけは余計なのですが、「協同組合の組合員は、誠実、公開、社会的責任そして他者への配慮という倫理的価値を信条とする。」ということが大事なのです。今までは入っていなかったのですが、世界の協同組合100年の歴史の中で初めてこういうものを入れました。
1つ1つの言葉をどう覚えるかというよりは、皆さんからすると当たり前ではないか、何でこんな当たり前のことをわざわざ書いたのだろうかと思う人がいるかもしれません。その人はすぐれた人です。「当たり前のことを当たり前にやろうとしていること」が実は協同組合なのだということです。人と人とのつながりとかいろいろな言葉がありますが、人との関係ではこうありたい、人に頼らずに自己責任でいろいろなことをやりたい、公正にやってみたい、フェアにつき合いたい、一人一人のつながりの中で大切と思われることが協同組合の組織的な価値になっています。みんながこういう関係でいたいと思うことが生かされる組織が協同組合なのです。
ここに書いてあるのものは、お偉い人が、こうらしい、こういうふうにしなくては協同組合ではない、といってつくったものではないのです。協同組合とは何だろう、どうもこういうところが重要だなと言い始めたのは20年前の1980年、レイドローという人です。1988年にICAの会長が、誠実、公開、他者への配慮というものが協同組合にとっては大切なのではないだろうかといい、日本に来ていろいろなヒアリングをした中でその言葉ができました。いわば活動の中でできた言葉ですから、当たり前といえば当たり前のことです。したがって未来の価値、20年、30年たったときにまた新しい価値が加わるとしたら、みんなが活動しなければ変わらないわけです。人からいわれたことことを聞いて、生協とはこうらしいというふうにやっていたら進みません。しかし、自分たちでやっていれば、少なくとも自分の生協の中には価値が蓄積します。卒業しても自分たちの生協はこういうのを大切にしたいということを受け継いで今の大学生協があるのと同じように、ICAもこのような形で価値を考えてきたということになります。
協同組合の運営原則
ただ、価値の実現には一定の運営原則が必要になるということです。「いい人が集まってもいい組織になるとは限らない」というのは、私が一番肝に銘じている言葉です。生協やいろいろなところで働いたり活動をしている人にあまり悪い人はいません。学生委員などを見て一人一人と話し合ったときに、やはりこいついいやつだなと思う人がたくさんいると思います。だからといって学生委員会の活動がスムーズに行くのかというと、これはまた違う話です。会社でも、会社ができ上がってから、経営者やリーダーが悩んでいる永遠の課題です。いい組織にするためには、いい組織になるためのふさわしい一定の運営の原則が必要だということを先人は考えてきました。考えてきたものが、第1原則から第7原則に出ております。協同組合がその価値を実践に移すための指針です。ガイドラインと英語では書いてあります。1つ1つ見ていきます。これが実は総代、理事会、学生委員会の中のいろいろな活動の仕方に照らして見て欲しいと思うところです。組合員と総代会議を持ったり、グループ別、学区別の会議を持ったりいろいろなイベントもやります。その中でこういうものが生かされれば生かされるほど、いろいろなものが生協らしく協同組合らしくなっているという意味のガイドラインになっています。
「ICA協同組合原則の変遷」と書いてあります。第15回大会で採択、第23回大会で採択、第31回大会、これがマンチェスターです。協同組合の原則はこういう形でありまして、何かおかしいと思うのが1つだけあります。ICAをつくったときに原則はどうなっていたのということです。実はICAをつくったときには原則は議論の真っ最中でした。ちょうど100年前に結成したときにはICA原則はなくて、ロッチデールの原則というのはありました。ロッチデール公正先駆者組合というのはイギリスの20数名の労働者がつくった協同組合のことで、近代協同組合の祖みたいに思われているものです。ここで運営のルールをつくりました。そのルールがずっと生かされていて、ICAができてから40年ぐらいはロッチデールのルールを見ながらやってきました。やっとこの時点で7つの原則ができました。最初の4つが基本原則、5、6、7がお勧め原則といいます。最初の4つがきちんとなっていないとICAには入れませんというものです。下はICAに入るか入らないかは別にして、こうすると成功しましすよというものをつくりました。その議論をしたのが1966年で、それから随分たって1995年にこういうふうにできてきました。いいことをしたい、みんなの思いを実現するためにみんなが集まるという非常にやわらかいルールですが、ある程度の原則をつくって進めてきました。これが協同組合といわれるものです。ICAの協同組合のアイデンティティに関するICA声明を大枠で理解していれば、協同組合についての考え方は、ベテランであろうが、新人であろうが関係なく説明できるという中身になっています。
自立と協同 〜NASCOの事例から
この中には明確に書いてありませんが、もう1つ重要なことは、自立と協同という考え方だろうと思います。協同とは、本来は一人一人が自立していることが大切なのです。自立しない人がたくさん集まっても進みません。原則の中にはありませんが、自立をした人ないしは自立をしたい人が協同をするわけです。自立、自己責任というのが大切な言葉です。協同してさらに自立を高めるということです。「NASCOの例」と書いてあります。NASCOというのは、North
American Students of Co-operaton(北米学生協同組合連合会)の略です。お店も運営しているのですが、一番有名なのは「アパート」です。京都や大阪の大学生協ではリビング事業をやっていますが、それとは性格が違うという前提で聞いてください。
写真ではどう見てもだれかが住んでいた家です。こういうものを借りたり、買ったりして運営しています。篤志家という人から物件や、お金を貸してもらうのです。アメリカの場合、男女の部屋が違えば構いませんので、ここに何人かで共同生活をします。一番大きいのは日常の仕事です。食事をつくること、きれいにすることなどは日本のアパートだったら家賃の中に入っています。アメリカの学生は親から自立をしていて、お金を出してもらっていないので、自分たちで協同してやることによってその費用部分を下げようという考え方です。掃除もトイレ掃除など、全部ができなければいけません。食事の準備も同じです。担当者がスーパーやいろいろなところから食材を買ってきて、つくらなくてはいけません。食事のつくれない人は協同のしようがありません。人から恩恵を受ける場合はいいのですが、人に何かをする、両方やるから協同が成立するのです。みんなで食事をつくりますから、そのみんなの中に自分も入っていないといけません。こうして、大学が持っている寮よりも生活費が安くなるのです。これはすごく人気があります。いろんな建物があります。でかいビルディングみたいなものもあります。
最初は食事をつくれない、自立していなくても、自立したいと思えば勉強して習います。そういうことでほかの人にも協力ができます。自立をしたいという意識があれば必ず学ばざるを得ない、とにかく自分がやれる範囲のことをやらなければいけないということです。自立をした人、自立をしたい人が協同してさらに自立を高めるという点で一番わかりやすい話だと思ったので紹介しました。全国留学生委員会の京都大学大学院生の徐君がこのことをものすごく印象深くいっていました。まさにそうだなと思います。
ICAはこれを基本的な原則として持っています。これに基づくことによって協同組合が今まで広がってきただろうし、今度も多分広がるだろうと思います。私たちが大学生協の中で実際に活動するときにも大切なものです。だれかが勝手に好きなやり方をしてやるのではなくて、この原則を守りながらやるということにポイントがあるのではないだろうかと思います。協同組合らしく組織をつくるというときの基本です。恐らく学生委員会の活動だけではなくて、学生リーダーの人は大学生協を含めた全体のリーダー、大学生協そのものを代表するということについて改めて確認しておきたいと思います。
就労と協同組合、青年と協同組合
「世界の協同組合が着目している課題、就労と協同組合/青年と協同組合」と2つのことが書いてあります。現在、経済の問題でよくグローバル化とか、規制緩和とかいろいろなことが飛び交っています。その1つとして銀行なども厳しくなったりしています。グローバル化の問題は全世界で当たり前の様になっていますが、その本質を知ることは重要なことです。13ページの真ん中に「世界の協同組合とICAケベック大会(1999)」でICAの会長のいわれた言葉が非常に印象に残ったので書いてあります。読んでいきますと、結局、経済のグローバル化の進展は「集中を生んで排除をもたらす」ということになるというわけです。
今、日本の経済は厳しくて不況だといっています。新聞には失業率が4.7%と出ます。皆さんからすると人ごとではありません。就職するとはどういうことなのかということが、現実にはね返ってきているわけです。4.7%という数字に惑わされてはいけません。20代の失業率は2倍ぐらい高いはずです。人ごとだと思われるようなことが実際に自分たちのところにひしひしと迫ってきています。それに関して協同組合がどう対応すべきなかということです。特に就労するということは、稼いで生活をするということです。いい活動をしたい、ボランティアの活動をしたい、しかし卒業してからもずっとボランティア活動ができるかということきついです。生活をしなくてはいけません。学生の間は親がまだ何とか面倒を見てくれるかもしれません。私もそうでした。しかし、40歳まで面倒を見てくれるとは限りません。親だって大変なのでどこかで自立しなくてはいけません。
そのときに協同組合がどういう役割を果たせるのかというのが非常に大きな中身を持っています。協同組合とは包み込みの組織としていろいろな組み立てをしなくてはいけない。今は生協でも経営が厳しいから採用が厳しいなどいろいろあります。
会社に採用される、されないというレベルではなくて、自分たちで仕事を興してしまうとう考え方があります。アントレプレナーというのを聞いたことがあると思います。アントレプレナーの成功は非常に厳しくて、成功率は0.1%です。1,000人チャレンジしたら成功するのは1人で、999人は失敗です。これがアメリカの実情です。ハイリスク=ハイリターンというやつです。成功すれば収入は入るがものすごくリスクが高い。今、日本の通産省などが提唱し始めているのは、ローリターンでローリスク、成功してもがばっと収入がふえるわけではありませんが、リスクもそんなに多くないというものを考えようということです。これはきょうの主要な話題ではありませんが、協同組合はそういうことを考えるということです。
もう1つは、やはり青年の問題に目を向けるようになってきました。世界と比べて日本の協同組合のシステムで一番特徴的なのは、全部縦割りだということです。ヨーロッパやすぐ近くのアジアでも、協同組合法という法律の中に必ず全国連合会というのがあります。その中に農協や生協も入っています。ここに書いてあるように、アジア太平洋地域で「キャンパス・コープと青年のセミナー」を1回、2回と開いてきました。主催は、私が議長をしているICAアジア太平洋地域大学生協協議会というところです。ほかの国は農協などの青年も簡単に参加できます。日本の場合は地域生協から参加するのも結構至難のわざです。やっているのは大学生協だろうということになってしまいます。来年の第3回は、そういうものを取っ払って、協同組合で活動したり、働いている20歳代の青年が中心になってとにかくセミナーをやろう、若いからといってお客様にするのはやめようというのがテーマです。これまでも自分たちが主体的に受け継いで、自分たちで未来を考えたいというセミナーを開いてきました。これからも開かれるだろうと思います。そういう点は国際的にも注目されていて、ICA全体の中でもそうしようとなっていますから、日本の中でもぜひやらなくてはいけません。大学生協はものすごくユニークです。100何万人が一緒になって、生協のため、組合員のため、学生委員会のためにいろいろなことをしているのは世界には日本しかありません。アジアにもありますが、こんなに大きいのはなくまだ小さいままです。みんなが出るわけにはいきませんが、日本でやるということで学生委員会の人たちは関心を持ち、今後やっていったらいいのではないかなと思います。
二つの質問「大学生協はどういう組織なの?」と「大学生協はいま何やっているの?」
その次には突然、高校の友達と書きました。普通の学生でもいいのですが、なるべく高校の友達、特に生協のない大学に行っている人、もしくは大学に行かなかった人を仮想します。「大学生協は今、何をやっているの?」と質問されたときにどう答えるかということです。「大学生協とはどういう組織か?」と聞かれると、お店があり、組合員制度があり、そこで総代会があり、理事会を選んでこういうことをする、と意外と説明しやすいと思います。しかし「大学生協は今、何をやっているの?」という質問にきちんと答えることは、自分たちの活動の意味をしっかり持っていないと難しいのです。どういう組織かを説明するのではなくて、今、何をやっているのかということです。平和の活動をやっているところは、今、平和の活動が重要だからだといえます。もしかするとその友達は共通点を持っているかもしれません。人と話をするときには共通点がどこかにないと話は続きません。平和のことをやっている、といっても、その友達が、平和なんか関心ない、といったら大体話は終わります。そういう場合もあるかもしれません。しかし、どこかに共通点を持つことはないか、そういう活動をしているのかということについてぜひみんなに考えてもらいたいと思います。杓子定規的な言い方ですと「生協が社会的にどんな役割を果たしているのだろうか、どういう役割を果たそうとしているのだろうか」という質問と似ていますが、そういわれると抽象的になるので具体的にいいますと、今いったように高校のときの友達を想定していえるかどうかということです。
これは非常に大切なことで、何をしようとしているのかがきちんとしていないと、何がしたいのかもなかなか出てきません。今やっていることをいわないで、何がしたいということだけを一生懸命いうこともありますが、その場合何がしたいというのは比較的、現状に対する不満から出ます。不満があると愚痴がたくさん出たりします。今やっていることがきちんと説明できれば、かなり自分たちの将来も生協の夢が見える。これは生協だけではないと思います。一人一人もそうだと思います。私みたいに50幾つになっても、今、何をしようとしているかが説明できれば自分の未来が自分なりにつくれるわけです。
これは労働者協同者組合で何をしようとしているのかということを私自身でまとめたものです。細かくいろいろあるのですが、左の方を見ますと、労協法の制定と書いてあります。今、日本にはこの法律がないのです。そういうものをつくるために国会に行ったり、官僚と話をしたりしています。地域福祉事業ということもあります。この間も与野の商店街に行って話をしたり、いろいろやっています。そこで地域の活性化のためにはどうしたらいいか、協同という方法はいいですよ、といってもそこで一緒に働く人間がいないといけません。みんながいいといってもその中に飛び込んでつくり上げようという人がいないとできないわけです。一見ボランティア活動にものすごく近いですが、しかしボランティアでは長続きしません。生活できる収入を得る仕組みを考えないといけなということでやっています。中身はよい仕事ということです。よい仕事をどうつくるのかということです。協同労働、自己責任と原則的な運営をどうするか。私が今考えている4つの中身を労働者協同組合の中で押しつけようとはしませんが、私はこう考えますといって勝手に広めています。そういうことをぜひみんなも考えていく必要があるのではないかと思います。
主体の問題と社会的な接点には何があるのか。右の方は主体の問題と一番基礎的な活動として何があるのか。内部的な問題に分けてつくったものです。これを国会議員に見せたら一発で、何だこういうことか、よし、わかった、となったので比較的わかりやすいものだと思います。今、何をしようとしているのかという点を詰めていくとビジョンが見えてきます。これは自分の人生にとっても同じである、とたかだか50幾つの人間がいってはいけないのですが、実際にはそう思います。1つ1つ積み上げていくものだろうと思います。
あなたにとって魅力のある組織とは何ですか、あなたにとって魅力のある社会とは何ですか、という話が非常にしやすくなります。自分は何をしているのかを人にきちんと話せるかどうかです。きついですが、それはぜひ必要なことです。そうすると次の議論もまた同じようにできるではないかと思います。魅力といっても全員が同じ魅力を感じるわけはありません。ここに100数十名いますが、大学生協について魅力が1つにまとまったら恐ろしい組織だと思います。共通点は結構あると思うのですが、その中には一人一人の思いや自分の個性に応じて人とは違う魅力を感じているわけです。その違う魅力を感じているから話したときにおもしろいわけです。みんなが同じ魅力だったら、5回か10回聞いたら、もういいよ、となってしまいます。一人一人が違う魅力を持っていると思ったら、こんな楽しい組織はありません。みんなが持っている魅力、自分の魅力も人に話ができる、ほかの人が持っている魅力を自分が理解できる、そういう自分がいることがものすごく大切だと思います。これは別の言い方で残念ながらと書いてあります。生協や何かを変えようと思ったときに、だれも変えようと思わない組織や社会は魅力がないのです。多分、今の政治が魅力のない決定的なところはここです。変えようと思うことは思うけれども、いいかげんにしろということが続いてくるとだれも魅力を感じません。残念ながらその影響を我々は全部受けます。したがってもう一回踏ん張って、やはり変えた方がいいなという自己問答が私の中で常に回っています。多分にみんなも回っていると思います。魅力ある社会についてぜひ考えていただきたいと思います。
わたしのビジョン「21世紀の協同の構図」
最後に、「21世紀の協同の構図」と書いてあります。私の21世紀ビジョンです。大学生協のビジョン、組織のビジョンではありません、私のビジョンです。大学生協にいて、今、労働者協同組合に行きながらも、私の人生観がなぜ変わっていなのかというのはこれです。大学生協で行っている協同の広がり、協同のよさ、常にそこに若いフレッシュな学生が悩みながらも協同というものを着実にみんなつくっているわけです。だから私はみんなと一緒に30年弱も仕事ができたのです。はっきりいって、学生委員会がなかったら大学生協の専務なんかやっていても全然おもしろくないです。協同というのは事業組織だけがやっていたら普通の会社に行ってもいいわけです。ではなくて、本当にいろいろなことを悩みながらやる協同というものにあらわれて、そういう意識の中で次を目指したときにこの中身を自分なりに考えました。
ビジョンは3つあります。1つはコミュニティーベースの協同、2つ目は多様な協同組合の存立、3つ目は青年の協同フォーラムです。
第1はコミュニティベースの協同です。コミュニティーというのは非常に狭い空間です。市町村レベルよりももっと小さい小学校ぐらい小さいところで協同が広がっています。協同組合ではなく、一人一人の協同です。こういうのは協同でいいねと思うもの、大学で感じるのと同じようなことがそれぞれの地域の中で行われるような社会にしたいと思うわけです。田舎の方は比較的封建的かもしれないですが、封建的協同というものがあります。都会の場合は歴史的な事情でそういうものがなかなかつくれなかったのですが、今はこれがものすごく大切になっている時期です。これをすることによって、自分にとっては住みやすいところにします。
コンビニをやっている人が、我々はもともと酒屋で、酒屋がコンビニに移った。しかしコンビニがつぶれても、ああコンビニがつぶれたのか、と周りの人が思うだけだろう。しかし福祉や、今一番大切にしたことを自分たちが一緒にやることによって、つぶれたら困ると思われるような仕事したいんだ、介護保険や福祉という問題が重要になっていますから、そういうことをしたいんだ、と泣きながらいったという話があります。地域の活性化とはそういうことです。死んでいくときに、いろいろなことをやっている大切な人が亡くなったなと思われること、また周りからつぶれたら困ると思われるような店をつくりたい、そのためにはただコンビニをやっているだけではだめだ、とコンビニのおやじさんはいっています。その言葉を大学生協に当てはめて反すうしてもらえればいいと思います。同時にそのためには多様な協同組合が存立していなければいけないということです。普通の企業が営利目的だけでやっているのとは違う形で、協同組合という一人一人が参加する事業が地域で存立していく必要があるのではないかということです。
3つ目は、そういうことをやっていくためには1つだけ弱点があります。残念ながら今の協同組合は縦割りということです。幹部同士は自分のエリアばかりに関心を持ってしまっています。今すぐに大学生協と農協などが急にできるわけではありませんが、青年のところから横に連携をしていくと、10年、20年たてば当たり前のごとく横にネットワークが拡がり、地域の問題に対して解決を提起できるような協同組合同士の協同がコミュニティーの中で生かせるはずだと思います。この3つの21世紀の私なりのビジョンを大学生協の卒論にして、新しい世界でやっているということです。
出会いを大切にすればそこに協同が生まれる
結局、どういう生協にするかというのは、学生委員の人たちの動きでかなり変わってしまいます。毎年卒業する組合員がいい生協だったなと思うか、何だか知らないけどだまされたと思うかでは全然違うわけです。10年、20年たったら全く変わります。少なくともここにいる人は、生協の活動をしてよかったことは何だろうということを、今、考えれば、後1〜2年の間にそういうことが必ず出てきます。いい組織にならないかなぁ〜と思っているだけでは何も変わりません。いいときにはよかったなと思うかもしれないし、自分はやったの何だかお客さんみたいな感じがしたな、まあよかったんだろうなという程度で終わってしまうかもしれません。自分がやってみるということで結局はいいものができるのだろうと思います。学生委員会がきちんとやることです。学生委員会の活動とは生協そのものの活動であるという点がおのずとほかの組合員にも広がっていくのではないかなと思います。今後、私も頑張ります。皆さんも頑張って、みずからの人生と縁があって協同という場で一緒に勉強したり、話し合ったりする機会を大切にして、新たな協同の出会いを大切にしてください。出会いから協同へということです。
下の方にたくさんある顔はインドネシアの学生です。ついこの間シンガポールに行って話をして、非常に仲よしになりました。私が写真を撮るぞと言うとこういう顔をするとで、雰囲気は大体わかりますよね。言葉はそんなに通じません。向こうも私も英語はそんなにうまいわけではありません。お互いにたばこをよく吸う関係でたまたま友達になった人が2〜3人います。インドネシアの人たちは、非常に明るい人たちで、来年の6月に日本に来ます。自分たちが考える協同組合の未来を交流することになろうかと思います。出会いを大切にすれば必ずそこに協同が生まれる、協同が生まれればさらに出会いは楽しくなるという関係で21世紀を進んでいきたいと思っています。以上で私の話を終わります。
(文責・編集:大学生協連学生委員会)
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