「ICAアジア太平洋地域協同組合青年セミナー 2001」によせて

岡安 喜三郎

ICAアジア太平洋地域協同組合青年セミナー 2001

 アジア太平洋地域では初めての、すべてのタイプの協同組合から参加する「ICAアジア太平洋地域協同組合青年セミナー2001」が6月25日から3日間、東京代々木の国立オリンピック青少年総合センターにおいて開催された。
 この地域でのICA青年セミナーは、1回目を1996年にシンガポール、2回目を1999年にフィリピン・ケソン市で開き、今回が「3回目」であるが、過去2回はキャンパスの協同組合(大学生協など)が中心であり、全タイプの協同組合の青年を対象にしたセミナーは今回が最初である。
 参加国は、日本をはじめ、中国、韓国、フィリピン、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、インド、スリランカ、パレスチナの11ヶ国であった。ICA加入国28カ国からすればまだ少ないといえるが、以前のセミナーからすれば最大の参加国数である。
 日本からは、大学生協連、日本生協連、JA全青協、全漁連、全森連、共水連、全労済、コープさいたま、そして労協連、協同総研から青年が参加した。日本において、これだけのタイプの協同組合の青年が一堂に会したのは、おそらく初めてであろう。
 セミナーは、大学生協連田中学会長の歓迎挨拶とICAロドリゲス会長の挨拶の後、龍谷大学中村尚司教授の「自立とネットワークを通じた生活の向上、協同組合への提言」と題する講演で始まった。小グループによる交流、3つの分科会、3コースの協同組合見学などを経て、最終日、このような青年セミナーを継続すること、次回の地域セミナーをマレーシアで行う旨を確認して幕を閉じた。

アジア地域のICA青年セミナー小史

 私はICAアジア太平洋地域大学生協委員会の委員長として3回のセミナー開催に携わってきたが、あらためて協同組合青年セミナー開催の経緯について述べてみたい。
 十年ほど前、私は日本の大学生協連の代表としてICAアジア太平洋地域事務局と一緒に、アジアの各国で「大学生協オリエンテーションセミナー」を開催していた。主に各国の協同組合運動に果たす若者の役割を高めるために、大学の協同組合が積極的に学生の参加を強化すべきとの趣旨である。
 各国には大学に協同組合があっても、教職員だけが組合員とか、ヨコの連帯がほとんどない状態で、大学の協同組合とはただ学内で店舗を営業していると言っても過言ではないものであった。
 「生協が“少数の組合員・多くの利用者”の構造なら、民間企業と同じ」「学生から支持されない大学協同組合は衰退するのみ」「連帯組織の重要性」――これらが日本の大学生協の主張であったが、多くの国で真摯に受け止められ、国の実情に合わせながら、学生の参加(組合員にすること)が図られてきた。
 「オリエンテーションセミナー」が各国一回りし、ICAアジア太平洋地域に大学生協委員会を発足させることとなった。発足後すぐICAに提案したのが、「協同組合における青年の人的資源開発(HRD)の可能性、およびアジア太平洋地域青年セミナーの開催」である。(具体的には http://www.ccn.ne.jp/~okayasu/_files.eng/HRDP.html を参照されたい)
 そこでは「第1に、コミュニティに役立ちたい。この夢の実現のために、あらゆるタイプの協同組合が若い世代のために協同すべきこと。第2に、協同組合を通じた青年の人的資源開発のテーマで、ICA(ROAP)は2000年までに少なくとも1,2回のセミナーを開催すること」と行動目標を掲げた。
 その後実際には前述したとおり2回の開催はキャンパスコープのセミナーであった。そういう意味では今回のセミナーは数年越しの実現となったものである。

学習か教育か―協同組合学習論に関わって

 ICAアジア太平洋地域青年セミナーの開催は、3回の開催を通じて形式からすれば、主催者挨拶、講演、分科会、現場見学、宣言採択と定式化されてきた。しかし根底には、この類のセミナーは学習か教育かの論点が横たわっている。これはグローバルレベルでも一国レベルでも同様の論点があると思われる。
 第1の主張は、青年へのセミナーとは教え込むこと、素直に言えば「青年は未熟だから注入が必要」のパラダイム。これは第1回目のシンガポールセミナーを企画する段階で議論になった。教え込むなら、挨拶、講演、分科会、現場見学、まとめと進む段階で、予め想定した意図通りに内容が収斂されるか否かに関心があることになる。そのため、すべての段階で主催者の関与が重要になる。具体的に言えば主催者集団があらゆる場面でしゃべり続けないと不安になる。
 それに対して第2の主張は、青年セミナーそれ自体が協同組合への参加の過程であるし、セミナーでは青年の思いを青年自身の責任でまとめ上げる、すなわち青年がビジョンを持つこと、そのために学び交流すること。いわゆる「大人」がこの青年のビジョンを受け止めることによって世代間の交流が始まる、といった主張である。私自身が主張し結局セミナーはこの主張の方向で進められてきた。
 シンガポールセミナーは、参加者が自分の国の実情と自分たちの思いを交流し、協同組合に関する青年のビジョン(ビジョン2000)を発信した。フィリピンセミナーでは、参加者の中から国ごとの代表を決め、「セミナー参加者運営委員会」が最終日のまとめ会議を主宰した。これは東京セミナーでも踏襲している。
 これらの運営方法の検討には新しい学習論、すなわち「状況におかれた学習―正統的周辺参加」(Jean Lave & Etienne Wenger, 1991)が大変参考になっている。教育学者の佐伯胖氏は以下のように言う、「正統的周辺参加論では、学習というものを『実践の共同体への周辺的参加から十全的参加へ向けての、成員としてのアイデンティティの形成過程』としてとらえる。このことは様々な点で従来の学習観を乗り越えているものである。」そしてまた、そういう意味で協同組合はまさに学習の組織であると。

青年の参加と協同組合

 「青年に支持されない組織、青年にとって魅力のない組織、青年が夢を感じられない組織は衰退するのみ」、これはあらゆる組織の運営者が肝に銘ずることであろう。大学でも、企業でも、NPOでも、協同組合でも、はたまた国家でも同様である。閑話ながら高齢者協同組合にとっての若者は団塊世代ということになろうか。
これは当然にも若者におもねることを意味しない。それどころかおもねる「大人」に魅力を感じない若者も多い。だからと言って、「今どきの若いやつらは」と嘆いていても何も始まらない。日本の中高生の60%が21世紀に夢を感じられないというのは遺憾ではあるが。
さて、組織への魅力の感じ方は大きく2つの接近から論じられる。一つは外部から見た関心・魅力、これを社会的魅力と言おう。もう一つは中から見た魅力である、これをメンバーとしての実感の魅力と言うことにする。協同組合の参加の局面で論じたいのは前者から後者への移行過程での魅力であり、前述した「正統的周辺参加」に関連した魅力である。
 新しく協同組合のメンバー(組合員、労働者)になった者は契機が先輩の勧誘であったりしても、多くは何らかの魅力、協同組合特有の魅力をかんじて、また感じたいと思って入ってきているといってよい。この点ここでは外から見た魅力、社会的魅力については前提として論じることになる。仮に成り行きでメンバーになったとしても、成った限りは自分の所属する協同組合は魅力あるものであって欲しいと願う。
この思いの特に強いのが若い世代である。大学生協で学生を見ていて、社会性と使命感で自己動員が効いたのは1980年代前半までというのが私の実感である。その後は「外と内」を同等に見て自己の行動を決める若者が多数を占めてきた。蛇足ながら、若者にとっては自分の意見を聞いてくれる、自分を分かってくれる仲間の存在は決定的である。頭ごなしの管理は小中高の学校で嫌というほど経験している。
青年など新しく参加してくる者にとって、協同組合の魅力というとき、理念などを言葉としてだけではなく、実際の運営局面・働く場面でも社会性とともに、内部の人をも大切にするなどの協同組合理念を実際に体現していることが肝要になる。ICAの1995年声明を持ち出すまでもなく、協同組合は人と人とのあり様、価値観を体現できるところに、その価値がある。
私は今回のICA東京セミナーで、主催者の感想として以下のように言及した。「協同組合と青年の関係には一つの問題が存在している。青年の参加・参画は何が目的なのか。第1の答えは、事業など協同組合の発展のために。もしもこれだけならそれは不十分である、青年は協同組合の継続・成功のための道具になってしまう。第2の答えは、協同組合は就労など、若者が抱える厳しい諸問題を解決するために有用であるべき。この答えこそもっとも重要である。」

最後に

この論点を青年の問題に収斂させるべきでないことはもちろんである。少子・高齢社会にあって、経済のグローバル化―集中と排除の助長にあって、地域社会の崩壊の下で、「構造改革」―大倒産、大失業の時代に直面するにあたって、協同組合は人々に有用であるべきである。しかしながらこのことに対し、個々の協同組合が、タイプごとに「努力」、シビアに言えば個々が孤立的、排他的なままで努力するだけでは、協同組合の優位性が市民にインパクトを与えることにはならないであろう。「協同の21世紀」は今までの延長線上にあるわけではない。
 協同組合に集う青年がタイプ別の壁を乗り越え、様々な問題に一緒に立ち向かう第一歩が2001年に始まった。時間はかかるが、この芽が十年、二十年と育てられていったとき、「協同の21世紀」は現在の若者の手によって現実のもとなるのではなかろうか。



協同総研所報「協同の発見」2001年8月号収録

戻る