読書ノート

■ 「戦争プロパガンダ10の法則」(アンヌ・モレリ著、永田千奈訳。2002年3月草思社刊、本体価格1,500円)

 アメリカのイラク攻撃はもはや不可避であるかのように報道がなされている。とにかく大量破壊兵器開発について「イラクは嘘をついている」と連日アメリカ高官はコメントに余念がない。
 戦争を準備するには軍事力の強化だけではなく、プロパガンダ(主張の正当性を宣伝すること)が必須であることは昔から言われてきた。第1に標記した本「戦争プロパガンダ10の法則」は、2001年、あの「同時多発テロ」以前に書かれたものだが、アフガン空爆、イラク攻撃準備、北朝鮮への対応がどのように進んでいるかを、冷静に分析する際のひとつの重要な本であろうと思われる。この本で言っている10の法則とは、

1) 「われわれは戦争をしたくない」
2) 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
3) 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
4) 「われわれは領土や覇権のためにではなく、偉大な使命のために戦う」
5) 「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
6) 「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
7) 「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
8) 「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
9) 「われわれの大義は神聖なものである」
10) 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

であって、著者自身も「これらの法則はすでによく知られたことであり、戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙されていたことに気づく」のだが、「また罠にはまってしまうのだ」と述べている。「今度こそ本当だ」と。
 筆者は、これらのプロパガンダの法則が戦争の時だけでなく、国内の社会的対立にも適用されていることを指摘している。
 かくして著者はマスコミを使う権力のプロパガンダに対し「疑うのがわれわれの役目だ」と言いきる。そしてこうまでも言う。「超批判主義を通せば−−たとえ、否定主義のような嘆かわしい愚直さに行き着こうが−−良心を殺すこともない。行き過ぎた懐疑主義が危険であるとて、盲目的な信頼に比べれば、悲惨な結果につながる可能性は低いと私は考える」と。
 いかにも西欧的個人主義の結論と思えるが、ともかくも、おもしろい本である。でも疑うだけでは社会的広がりにならないことも事実である。この先はどうすればいいのか?−まさに「庶民レベルのグローバル化(国際ネットワーク)が決定的に重要である」という新原則第7原則に我々の未来があると言える。

■ 「日本の地名」(谷川健一著。1997年4月岩波新書刊、本体価格640円)
■ 「山の名前で読み解く日本史」(谷有二著。2002年3月青春出版社刊Playbooks、本体価格667円)
■ 「地名の秘密−秘められた歴史の謎に迫る」(古川愛哲著。M経済界刊リュウ・ブックス アステ新書、本体価格743円)

 私の友人が退職後山梨のとある村に家を構えた。そこから数百メートルのところに「長者窪」という小地名がある。そういう地名は粕屋事業団付近の駅名「長者原」とか、様々あって、なかなか優雅な名前だなぁと思っていたところ、どうもそうでもない、「地名の秘密」によれば、多くは日本古語「チャウジ」という崖崩れの「ヤ(岩・谷・湿地)」という意味が含まれているらしい。災害防止のために気をつけろという古代人の知恵が地名になったという。
 地名は古代史と密接なところがあり、私の住む埼玉県にはアイヌ語、朝鮮半島からの言語等が入り組んで名付けられた地名が多い、島国根性とは無縁なほど「国際的」である。もっとも、古代史と同じで、推測の域の出ない地名もある。そんな場合は様々な説が飛び交う。上記の本「日本の地名」と「地名の秘密」の中でも、「ゆいがはま」については別の解釈が出ている。危険な解釈と優雅な解釈に分かれるので、鎌倉に住んでいると気が気でないと思う。邪馬台国(ヤマト国)の比定ほどではないが、そういう違いもまた複眼の目を養うという点で結構おもしろいものである。
 実は、お気づきの通り、小地名はどんどん無くなっていく傾向なのだが、小地名は先人の知恵が入ったものとして、その地域の地理・歴史・文化を知る上で貴重な財産だと思う。どこへ行っても「緑区」だの「南区」では、ある時期の新幹線の駅庁舎建設と同じで、何の特色もない地域ができあがってしまう。
 地域密着型協同組合の活動の中に、小地名掘り起こしでも入っていると楽しい活動になると思っている。

2002年12月27日記
日本労協連センター事業団月刊情報誌2003年1月号収録