『協同の發見』152号「巻頭言」
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CC共済は「協同の發見」誌でも何回か紹介しているが、もう一度簡単に紹介しておくと、これは労働者協同組合連合会を元請けに、地域の再生と助け合いを目的とする共済であり、連合会加盟の労働者協同組合や高齢者生活協同組合の組合員等が加入する。 このCC共済が他の共済や保険等と異なる最大の特徴は、高齢者がいつまでも元気でいられように、ボランティアによる見守り、声かけ、話し相手、誘い出しなどの「現物給付」の仕組みを持っていることであろう。ここに言う、見守り、声かけ、話し相手、誘い出しなどの地域での活動は誰も不必要だとは言わないであろう。現にデンマークでは予防的ケアの一環として、自治体職員による予防的訪問が制度化されている(「協同の發見」151号、2005年2月、p.45)が、年2回という頻度問題を持っている。日本の社会福祉法人等でも1回何百円という仕組みを検討しているところがある。 CC共済はこの見守り等の「現物給付」が月掛け金500円の仕組みの一部に組み込まれているのが特徴である。これが可能なのは、「自分たちの住んでいる地域を良くしたい」という思いが、ややもすると共済の善し悪しを「受ける給付額メリット」として評価しがちな既存の保険や共済の観念を超えて、ボランティアの結集を促進する仕組みだからである。この共済はボランティアの結集をもたらすかどうかに掛かっている。その意味でまさに地域力の向上に掛かっている。それを「現物給付」として共済の仕組みにしている意味は、ボランティアの活動実費を共済基金で補償することによって、経済的負担を気にすることなく、誰でもボランティアに参加を促すことができるようにするためである。加えて、万が一のためのボランティア加害者賠償補償を組み込んでいる。 この特徴に、こんなボランティアに頼る不安定な給付形態では責任持った共済にはならないと、危惧する人がいるかも知れない。これに関しては、昨年(2004年)に、この共済を地域で展開しようとする、高齢者生協の組合員の本格的な取り組みが開始された兵庫の実践で回答を見ることができる。昨年11月に発行された兵庫県CC共済会会報第1号には「支える喜び 支えられて安心!」の標題で、会員が531人になったこと、9人のCC共済コーディネータと、100人近くのCC共済ボランティアが登録され、”支え合い給付”を文字通り支えている実態が報告された。新テキスト検討会の場で、共済会の一人は、「ボランティアをやりたいからCC共済に入る人が現実にいる。これがCC共済の力なのかも知れない」と、実践しなければ味わえない感想を述べていた。 ちなみに、以下のような現物給付事例が報告されている。□加古川市の91歳女性および93歳男性に対して、週1回の話し相手・相談相手。□伊丹市の72歳男性に対して、適宜のサロンへ連れ出し。□伊丹市71歳女性に対して、月2回の話し相手・相談相手・外出支援。□伊丹市62歳女性に対して、適宜の病院付添・話し相手。□伊丹市75歳女性に対して、週1回の声かけ・話し相手。□伊丹市77歳女性に対して、週1回の話し相手、相談相手。□神戸市73歳女性に対して、適宜の声かけ・相談相手・家具移動。□神戸市75歳の女性に対して月2回の話し相手・ゴミ出し支援。□神戸市79歳女性に対して、適宜の声かけ・話し相手。□神戸市83歳女性に対して、適宜の家具移動・電球取り替え等。□神戸市57歳女性に対して、適宜の相談相手・清掃支援・家具移動。□神戸市の69歳女性と69歳女性の2人に対し、月2回の話し相手・相談相手。これが15人への給付である。 先に、この共済は地域力の向上に掛かっている、と述べた。これではまだCC共済の本質の全貌を語ってはいない。上記の活動実践を見ればCC共済は、地域力の向上に貢献する力を持っていると言えるのである。CC共済は地域や人の結びつき、協同の力を実感できる場づくりという本質的特徴を持っている。これは実はICAの言う様々な協同組合の本源そのものと言える。 もっとも、このCC共済に似た仕組みを模索する人たち・グループは多いのでないかと十分に考えられる。したがって、こういう人たちとのネットワークも重要である。現実には高齢協や労協のような、地域を考える協同組合でなければ実践にまで辿り着かないと言えるのだが、これは紙面の都合これ以上の展開は後日の課題としたい。 CC共済の特徴である「現物給付」(の実行)について理論面を検討してみよう。一般の保険や共済は「現金給付」が一般的であるし、当然と考えられている。それは、補償機能であり、保障機能、貯蓄・資金準備機能として説明する場合が多い。しかしこれは市場に様々な財やサービスが提供されていることを前提としている。したがって、ボランティアによる「現物給付」が何か事業として不安定だし無責任だと主張する人の話を聞いていると、こんなのは止めるべきであるし、もしやるのなら、このような見守り活動等はボランティアなので行政や町内会・自治会に完全に任せるか、または割り切って商売として「安定的に提供させる」企業体があってこそ成立するとでも言いたげである。 しかし、このCC共済の活動は行政か民間かという二者択一の道ではなく、第3の道、すなわち市民による社会連帯として説明されるものである。同時に「現物給付」は、「現金給付」として市場を経由しない、すなわち地域循環のシステムとして、この説明が補強される。そもそも共済と保険を分けるものはコミュニティに生活する人たちの「現金給付以外の助け合い」の存在である。 追加的に、個人的経験を言えば、大学生協の共済では病気や事故で入院したとき、制度ではないが仲間が欠席中の授業のノートをとって入院中の学生にそれを渡して勉学の中断をできる限り埋めるという「共済活動」があった。明らかに金銭では補償されない部分の助け合いである。地域の見守り等の活動は、営利の事業体にはなじまない。だからといって完全無給の任務としてのボランティアでは長続きはしない。もっと現実的なボランティア制度が求められる。ここにCC共済制度の価値があると思われるのである。 (『協同の發見』152号, 2005年3月発行) |
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