注):これはOff-JT用の教材の一部で,大学生協連で、隔年9月に開催される中堅セミナーで使われたものです. グループメンバーにはある状況設定がしてあります(例えば,砂漠での遭難など一般的には経験しない場面で,かつ協力が必要となる場面がが用いられる.)
まず,個々人が意見を先に持ち(紙に書いておく=個人の決定),その後に集団で意思を決めていくものです. 場面は,一般的には経験しないことを想定しており,意見の優先権を認めません.協力が必要と言うことで,全員の納得と合意が(一定程度)必要です.
会議と言っても、上位の意見に押し通される、大きい声が勝つ。これらを防止するための一つの方法論です。チームで仕事をする際の意志決定方法として体得することを目標にしました。
岡安 喜三郎
今の時点での個人決定は.あなたの決定です。この順位づけはあなた自身のものであり,納得できない限り,変えないで下さい.(順位は表に記入のこと)
これから、コンセンサス(全員の合意)による集団決定をして下さい。すなわち、一つ一つについてグループの各メンパーが同意して、はじめて、グループとしての順位づけとなるわけです。コンセンサスは勿論容易ではありません。従って、すべての順位が、各人の同意を得ることはできないかも知れませんが、全員が少くともある程度の同意を示し得る順位づけを作り上げるように努力して下さい。
以下に、コンセンサスを得るための若干の指針を記します。
1.自分の判断を固守し、他に“勝つ”ための論争(あげつらい)は避けること.グループ全員が集団の判断としてベストと見るところが“正しい”のだと考えて下さい。
2.考え、解答、予測などについての葛藤は、コンセンサスを求めるプロセスを妨げるというよりは、より広い視野からの決定への助けとなるものと見なすこと。
3.緊張を解消してしまうという行動は、有意義であり得る葛藤をも展開しないで、流産させてしまう傾向があります。従って、葛藤を避けるという理由だけで、自分の意見を変え、他人に同意することは避けること。多少自信がないと感じても、自分の決定は自分のものとして充分に主張し、納得できるか、または相当同意し得る順位(または解答)だけを支持するようにして下さい。
4.決定するのに、多数決とか、平均値をだしてみるとか、または、取引きをするといったような「葛藤をなくす方法」は避けること。
5.論理性を迫求しつつも、それぞれのメンバーの感情、グループの動き(お互同士の関わりのプロセス)にも充分配慮すること。(最善の結果は、情報、理論、感情の融合から流出するものです。)
I.コンセンサス実習からの一つの仮説化
正解のある「コンセンサスを求めての実習」においては,グループ・メンバーの討議の結果(集団決定)は,個人決定の平均よりもよくなった.多くの場合は,集団決定はメンバーの少なくとも80%の人たちの解答よりもよくなったのである.通常ののわれわれの経験では,グルーブのアウト・プットは.メンパーの中の能力の低い者に足を引っ張られて,余り満足のできる結果をもたらさない.にも拘わらず,この実習においては,数字的に明らかに集団決定の方かよい.何故であろうか.この結果から「だから何事をするにもグループでするのがよい」と速断するわけにはいかない.「3人寄れば文珠の知恵」という格言の裏にひそむ真理は何か.実は1人よりも3人という、頭数bb人数増という量的増加にとどまらない何ものかがある.
コンセンサスを求める実習での設定条件は,今までに築き上げて来た各グループの相互信頼的,開放的,支持的風土の中で,各自が一応徹底的に自己主張をしてみるということであった.それは,各メンパーが持つ知識,能力,技能(潜在的なものも含めて)を,フルに活用し得るような状況が期待されることを意味した.コンセンサスを求めるグループには、1人よりも,2人,3人という量の問題に加えて,グループ内の対人相互作用の質の問題が大きく作用していたと言うべきではなかろうか.おそらく,集団決定の正確度の上昇という現象は,そのグループの対人相互作用の質によるのであると言い得よう.グループの解答の正確度が個人の決定よりもよくなるということを図示すると、次のようになろうが,それは,グループ内の対人関係の質の向上によって保証される,グループに内在する資源(リソース)の活用度との相関関係として捉えられる.
適切な人数のグループを編成し,そのメンバーたちが目標,課題達成のための手続きを共有し,対人相互作用の質的向上をはかることは,グループとしてより優秀な成果をあげることができるためには不可欠なことであると言えよう.ラインの管理者の「教育的」機能は.まさしくこの辺にあるのではなかろうか.開放的,支持的風土が,「よりよい」ものであるとするO.D.の価値観は、単に開放的などであることを強調しているのではなく,風土がそのように変革されることによって,組織人がより大きい満足感を得るようになるのは,単なる人の和をいう理由でなく,お互いに持つ資源を充分に活用し合える所から来ているのである.
開放的.支持的相互作用が、組織体の中に醸成されれば,そこに潜在する資源が充分に活用されるようになり,葛藤は建設的に活用されるようになろう.人間が一人一人違っているということは、2人集まれば相違があるということを意味する。人と人との間には葛藤が存在するのが当然であり,事実である.この事実を認めることなく,和気あいあいの幻想を持つ事がリアリスティックであると言えようか.コンセンサスを求めようとしたプロセスの中では,この葛藤の指摘が可能であり,相違を建設的に活用できたのではなかろうか.多数決による少数の排除(少数派は敗者である)と異なり,お互いに自説を変えることがあったとしても,大体において,すべてのメンバーは満足感を持ち得たと思われる.
II.融合論(シナジー)的な考え方
日常.多くの場合.われわれは仕方がないから,集団で仕事をしており,体験的には,集団活動を余り高く評価していない.通常,作業集団が編成されても,まず仕事の手配(how
to)は考えるが,今ここでチーム・メンバーの間に起っていること(関係的過程)について各人がどのように感じているのか,それぞれのメンバーはそれぞれなりに、どのような貢献をしたがっているのか,などについては殆んど考慮を払っていない。一言で言えば,どのようにすれば、メンバー一人一人が効果的メンバーとなり得るかについて考えることはしない。多数決の方法さえとれば、とにかく,一応全員は参画しており,物事は民主的に運営されているのだと思いこんでしまうことが多い。大衆的決定のために、多数決の必要な時もある。しかし、この研修では、管理能力の一つとしての部下育成,リーダーシップなどの観点から、自分の責任である部署の活力を最高に出せるようにすることを学んでいるのであり,そのためのコンセンサス実習をしたのである。
われわれの文化は,大体において競争原理にもとづいているため,物の考え方も「勝つか,負けるか」式の両極2分法に陥りがちである。従って,「与えることは,受けること」といったパラドクシカルな現実を,そのまま受けとめることが出来ないことが多い.
融合諭(Synergy)的な物の見方とは「相違から来る区別」でなく「対立またはパラドクシカルなものを,むしろ共通性という立場から見よう」とすることである.状況の中に存在する両極的対立要素と見えるものの間に意味深い関連性を見出していこうとする態度である.「あれか一これか」の発想から,「部分ではなく,全体を見る」視点への転換が必要である.
以上の論をチームの問題として捉えると,チーム・ワークに起る協力と競争は意味深い関連性を持ったプロセスとして捉えられる必要性を示唆する。作業プロセスの中で,お互いの分ち合い(緊密な相互作用)と機能的競争が起る時,生産性が高まる.民主的な意思決定のメカニズムは,責任者(管理者)が自己放棄をすることなのではなく,与えられた自分の責任を,作業のプロセスに融合させることではなかろうか.問題をめぐっての多数派との数派とに分断して解決をはかろうとするよりは,コンセンサスを目指すことにより,単に形式的,表面的一致よりは,根底的,基本的合意を得ることを努力目標とすることにより,作業のプロセス(人間の関係的過程)の質が向上する。
・コンセンサスには時間がかかるかも知れない.しかしチームの相互作用を意図的に向上する(教育)ことにより,時間を短縮し,質のよいプロセスを持ちうる。
・コンセンサスの過程で得られる満足度は,個人の尊厳をそこなわない融合的プロセスを持ち得ることから来るとすれば,時間と努力に値することではなかろうか。
前ページに戻る |