Ver. 1.5 1999.2.23 岡安喜三郎
書名「違法の経営 遵法の経営」
(東洋経済新報社1998.4久保利英明著)
はじめに
「コーポレート・ガバナンス」という言葉が、経営者の間にはやり言葉のように広まっている。不祥事対策、代表訴訟の抑制、監査役の権限強化、ROEの向上、メインバンクなき後の経営モニタリング、取締役会の改革など、何でも解決してくれる霊感あらたかな呪文のごとくに語られている。(p.ii)
しかし本来、コーポレート・ガバナンスは経営の効率性の概念であって、違法な経営を是正するための切り札ではない。経営に適法性をもたらすものは「リーガル・マインド」と「コンプライアンス」である。(p.ii)
第一章 違法とは何か、遵法とはなにか
「会社のため」「利益を上げるため」などの大義名分を掲げることによって、違法行為を平然と行う。これでは「マフィア経営」と変わるところがない。利益を追求するためには違法行為をも恥じず、むしろ違法行為をあえて犯していく。このやり方は暴力団やマフィアの「経営手法」と同じだからだ。(p.3)
この(アメリカの)コーポレート・ガバナンス論では、違法経営については全く考慮の対象外になっている。(p.6)
考慮の対象外という意味は、違法な行為を前提として企業の利益を考えるということは、即企業の存立基盤を危うくするものだから、はじめから考慮の対象にならないという意味だ。遵法経営によって上げる利益でなければ、利益とは評価されない。(p.6)
コーポレート・ガバナンスは、「適法経営の中でより効率的な経営を行うための組織論」と理解されている。(p.6)
コンプライアンス(遵法)とコーポレート・ガバナンス(企業統治)は車輪の両輪と言えるだろう。もっと正確なたとえを言えば、 コンプライアンスが線路で、コーポレート・ガバナンスが電車本体ということになる。線路のないところに電車は走れない。(p.7)
コンプライアンスは、あくまでも「法律に違反する」行為を問題とするものだ。アメリカにおいては、さらにコンプライアンスを越えて「ビジネス・エシックス」というかたちで、違法行為ではないにしても、世間の指弾を受けるような反社会的な行為についても厳しい倫理的な歯止めをかけている。(p.17)
以上を要約すれば、企業経営の土台に倫理すなわちエシックスがあって、その上にコンプライアンスがあり、そのまた上にコーポレート・ガバナンスが成り立つと言ってよいだろう。(p.23)
「フリー」と「フェア」はセットになっているのだ。フリーだからこそフェアでなければならない。(p.24)
この「フェア」という概念にも、実は二つの意味がある。一つは、前述した司法機関や準司法機関などによる事後的なチェックという意味のフェアだ。もう一つは、フェアである前提として、情報開示やディスクロージャーが徹底的に行われるという意味である。(p.25)
「日本は債権大国になぜなったのか」
日本は輸出をすることによって外貨を獲得した。日本人が努力し、日本製品が優れていたことが理由だが、根本的には、海外の市場がオープンだったことが原因だ。(p.30)
体力のない危うい会社ほど、コンプライアンスをしっかりやらなければ、ますます危ない。(pp.32-33)
リーガル・マインドとは、健全な社会常識、そして時代とともに変化する適法性に関するリスク感覚である。このリーガル・マインドがなければ、どんなに儲けることがうまい経営者でも、その儲けたものの何十倍、何百倍という損害を会社に与えてしまう。(p.35)
危機管理に「絶対」決め手はない。どんなに注意していても、落とし穴はある。だからこそ危機管理はトップの仕事であり、トップを支えるスタッフの四六時中の緊張感が不可欠なのだ。(p.37)
封建社会の江戸時代であっても、「主君押し込め」という制度があって、「違法行為」をしたり、藩内の統一をきっちりと守れないような愚かな君主は座敷牢に押し込めてよろしい、それがむしろ忠義だというルールが厳然としてあった(笠谷和比古著『主君「押込」の構造』平凡社選書)。だから江戸時代は三〇〇年も続いたわけで、巧妙なコンプライアンスのシステムがあったとも言える。(pp.37-38)
第二章 闇のグループと遵法経営
現在、総会屋への利益供与は犯罪だが、一九八二年(昭和五七年)の一〇月一日までは犯罪ではなかった。これが犯罪とされるようになったいきさつには、いくつかの流れがあった。(p.40)
総会屋はともかく、利益を与えた会社側の取締役あるいは総務担当者の末路はどうなっているか... 彼らは非常に哀れな姿になっている。この点で八二年の商法改正は大きな転機となった。(p.41)
しかし、これだけ惨めな思いをするのに、なぜ利益供与事件は後を絶たなかったのだろうか。私の分析では、七つの理由がある。(p.44)
一つは、何らかの経営上の行動のために総会屋を利用した。
二つ目が、過去の因習の継続というケース。
三つ目は、総務部の腐敗や総会屋との癒着のためにお金が出ていくというケース。
四つ目が、脅迫、強要にに屈服した結果というケース。
五つ目は、「総会混乱による信用既存を恐れて」というケースである。
六つ目が、他社もやっているからという横並び感覚からつい、というケースである。
七つ目は、トップが意気地がない場合である。そんな人は社長になってはいけない。
この記事(アメリカ経済雑誌『ビジネスウィーク』1997年7月21日号「脅迫状」という特集)は、欧米から見た一つの典型的な日本観とも言える。つまり彼らは「日本は経済大国で世界最大の債権国だが、中身は封建的で薄汚く不正に満ちている」と見ているのである。(p.48)
第三章 民訴法の改正とコンプライアンス
この民訴法改正(1998年1月1日施行)のうち、一番大きな影響を与えるのは、@当事者照会制度と、A文書提出命令だ。(p.65)
第一点の当事者照会について言えば、罰則規定はない。強制力もない。しかし、訴訟の当事者が相手方に対して具体的事実の詳細を開示するよう照会したときに、相手方が開示しない場合には、裁判官がその事実から一定の心証(印象に基づく判断)を持つことが可能になる。(p.66)
二番目の文書提出命令については、基本的には技術または職業の秘密に関する事項など証言拒絶の理由のある文書をのぞいては、原則として提出命令に応じなければならないことになった。(p.66)
これまでの経営者は経済環境ばかり考えて、法律環境ということを無視しすぎてきたのではないか。(p.102)
第四章 市場時代の遵法経営
いまや日本の法律は、グローバル・スタンダードを要求されており、「法化社会」へもはや突入していると言わざるをえない。(p.105)
これは規制緩和、フリーでフェアな市場の時代の到来と表裏一体の関係にある。市場の時代は問題が起きたときには司法によって解決をはかる。つまり、参入は自由だが、事後的に司法の規制がかかる。(p.105)
終身雇用制が日本において本当に成立し、確立したのは一体いつからだろうか。ここ一〇〇年間、そんな時代が続いていたのかというと、全くそうではない。そもそも、会社が倒産すれば終身雇用も何もない。(p.106)
今のいわゆる企業不祥事のほとんどは、従業員による内部告発によって発覚している。(p.108)
今や、労務管理の原点は「滅私奉公」的な発想ではなく、労働基準法をいかに遵守し、労働者の人権を侵害することなく、企業に対して労働力を円満に提供してもらうためにはどうしたらいいかという、コンプライアンスの切り口で考える時代になった。(p.108)
セクハラの問題についても、コンプライアンスが重要になる。(p.112)
雇用・採用についても同じである。男女の機会均等、各種差別の撤廃などの点に十分配慮していない会社には、質の良い従業員は入社しない。あるいは、質の良い従業員が途中で辞めてしまう。この意味で労働者からのしっぺ返しを食う危険性が高い。(p.113)
良い従業員を獲得しようと思えば、市場の時代であるからこそ、従業員コンプライアンス、あるいは労働法的コンプライアンスが必要だということになる。(p.114)
円が下がり、株価が下がり、日本の信用秩序が危機に瀕している。なぜ日本がたたき売りの対象となったのか。「コンプライアンス不全」がその最も大きな理由だ。(p.140)
経済学では、マーケット・メカニズムにおいて最適の資源配分を達成するための条件がいくつか示されている。その中に情報の完全性という条件があり、それが保証されたときに市場が最も良いパフォーマンスを示すと言われる。(p.143)
第五章 遵法経営のための社内組織
日本には公認会計士の制度がありながら、違法な経営あるいは粉飾決算が日常化している。まさにこの点についても遵法経営ではない。(p.164)
社内の法務部門は弱体だし、監査機能はほとんど働いていないし、一縷の望みである外部の公認会計士も大蔵省の「呪縛」の中に組み込まれている。日本のコンプライアンスのための社内組織あるいは社外組織は、法律上の体裁は整っていても非常に空疎で、実体が伴っていない。(pp.165-6)
企業を生物に例えると、企業の行動活力を与える営業、製造などの動脈的ネットワークと、違法行為やマイナス情報を吸い上げる静脈的ネットワークと、この両面が企業にとっては必要ではないか。(pp.167-8)
日本証券業協会の公正慣習規則第一三号で、内部管理責任者という担当が規定されている。これは各支店の現場に一名ずつ配置される。その最高トップには、代表取締役クラスの内部管理統括責任者がいる。(p.169)
この内部管理責任者の規定は、一九九一年(平成三年)の四大証券の損失補填事件をきっかけにつくられたものだが、四大証券の利益供与事件の発生を防止できなかった。いくら内部管理責任者をつくっても、野村のようにトップ自ら総会屋に利益供与して商法を破っていたのではどうしようもない。(p.170)
リーガル・リスクはさまざまな分野にある。PL、独禁、証取、贈賄、使込み、情報漏洩、セクハラ、過労死、暴力団、特許、倒産等々。(p.170)
証券会社の実情を見てもわかるように、コンプライアンスのシステムは、ただそれをつくっただけでは機能しない。そこで次に考えられるのが、トップに対するホットライン、つまり中間管理職を抜いて、トップへの直接通報を許すシステムである。内部告発が外部へ行く前に、文字通りの「内部告発」をしてもらおうとするものだ。(p.171)
もちろん、この密告制度がただちに日本で通用するわけではない。...遵法経営が密告経営まで行ってしまったのでは行き過ぎではないか、ということになる。(p.172)
株主の財産を損なうとか、あるいは社内で違法行為があるのに、それを皆で目をつぶって隠し通している会社が問題なのだ。不正隠しに加担している者には働きやすい職場かもしれないが、たとえばセクハラを受け続けている女性職員等々にとっては、それは本当に働きやすい職場とは言えない。(pp.172-3)
密告制度があることによって、不正を上までホットラインで伝えられる会社の方が良いのではないか。そこの評価をどう見るかの視点は、株主や従業員全体に置かれるべきである。(p.173)
単なる中傷や、上司を傷つけライバルを蹴落とすための密告ではないということを、はっきりさせておく必要は当然である。不倫情報など、プライバシーの情報は問題外であるという、一定の規定を設けるべきである。(p.173)
あくまでも会社の名声や株主の財産に損害を与えるような違法行為を未然に防ぐためということを明示しなければならない。(p.173)
乱用を防止するために、匿名は禁止してもいいし、また、少なくとも疑いを差し挟むに相当な、ある程度の証拠を出さなければいけないとしてもいい。(p.173)
ただし、自分の名前やポジションを明らかにした上での通告に限るとしても、今度はその人がいじめられないように、通報者についていかに確実に秘密が守られるかが問題となる。(p.173)
消費者からのクレームは、ビジネスのヒントである。アサヒビールの樋口会長は毎週月曜日に、ネガティブ情報を自らチェックしている。(p.174)
小まめな人事異動も大切だ。「組織は必ず腐敗する」という冷徹な見方をする必要がある。(p.179)
「ダーティーワークを行う人物は必ずダーティーになる」私は、これはほとんど公理だと思っている。(p.180)
特殊な技術など専門家でなければつとまらない部署は別だが、総会屋対策などというものは、専門家になったところで大した意味もない。(p.180)
ゼネコンなどで官公庁営業の生き字引と言われて、どこをどう押せばどうなるとわかり過ぎていると、癒着になり、談合になり、贈収賄に結びついて、最後には逮捕される。大蔵省対策のMOF担も同じだ。(p.180)
一口に専門家と言っても、本来の専門家(プロフェッショナル)と、経験と人脈で築かれた自称専門家(情報通・玄人筋)の二種類がある。(p.182)
経験と人脈の専門家は危険だ。本来無理な不合理な話を人脈をカサに押し切るほど、違法行為になる危険性は高い。(p.182)
だから、これからの遵法経営では、その種の人脈で何かをしようと思わない方がいい。合理的な説得を中心にしたわかりやすい経営をすることが、遵法経営の基本である。(p.182)
新しい法律なり社会の流れと、会社の企業文化が乖離してきているとしたら、それはコンプライアンスの観点から見たら非常に危険なことだ。(p.183)
第六章 経営者の辞め際と遵法経営
一般論としても、「昔はこうだった」「オレの成功はした経験はこうだった」というのが失敗につながる。(p.194)
キャッチアップ時代に最適の人材であった人々は、今の時代には不向きである。旧来の日本型の体制で、会社大事のもたれあい社会で成功したリーダーの交代期が来たのだ。(p.195)
法を無視したり、僭脱してもカスリ傷ですんだ時代から、違法行為が会社をつぶす法化社会の時代に変わろうとしている。(p.196)
遵法経営への舵取りができない経営者には、お引き取り願うしかない。自分の予測できないようなものが売れ、自分の予測できないような価値が認められるような時代になったとき、すでに経営者として不的確になっている。(p.196)
― 了 ―
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