1968年8月1日〜20日、ブルガリアのソフィアで開かれた「世界青年学生平和友好祭」参加のために、ロシア、ブルガリア、ルーマニア、ウクライナを訪問した。当時の社共共闘による総勢300名の大代表団。帰国日の8月20日は入国審査のために新潟港沖で待機中、ソ連軍のプラハ(当時のチェコスロバキア首都)侵攻がラジオ報道された。
新潟からナホトカへの乗船券
渡航先が限定された当時のパスポート
カメラなどはベトナム解放戦線に贈るため
平和友好祭開会式
開会式の参加券
ベトナム解放戦線のブース
解放戦線の皆さんとの交流
エレキでの歓迎、個人的には白け
ソ連・無名戦士の墓
モスクワ・レニングラード駅
スモーリヌイ女学院内部(ソビエト樹立宣言の場)
バルト海とアウロラ号
アウロラ号の船上にて
夏の宮殿・噴水前
イワン雷帝の大釣鐘
赤の広場・後方はレーニン廟
モスクワ大学前道路から
モスクワ大学入り口
モスクワ大からクレムリン方面
血の日曜日事件の場所
無事帰国。しかし新潟沖で入国審査を待っているとき、「ソ連軍がプラハに侵攻した」と、ラジオのニュースが流れた。