【巻頭言の性格】協同総研の所報『協同の發見』の巻頭言は、その号の特集に関連したり、その時々の社会問題にコメントを入れる性格を持っています。結構、執筆者は自由に書きます。まさに言説空間という公共性が担保されていると言えます。2000年2月から、労協連・協同総研の活動に携わることになって、この巻頭言を執筆する機会が増えまして、ここまで書いてきました。
- 協同労働は働き方・生き様であるが、 実に運動である 〜21世紀協同組合の研究主題への提言〜(『協同の發見』343号2021.6)
21世紀の本格的な協同組合研究は、市民・庶民の協同の営みの総合的研究にある。まさ に『協同の發見』である。その点では古い「ボリシェビキ的大衆運動」とは一線を画して いる。
- 『新しい日常』の落とし穴:しなやかな 回復は政策転換なしに成立するか?(331号巻頭言2020.6)
「「新しい日常」が話題になっている。 専門家会議メンバーやマスコミから喧伝 されている。それ自体に今は間違いはない。しかし、それは必要条件ではあるが 十分条件ではない。国民の生活スタイルの仕組みを提言するだけで、本当に「新しい日常」が生まれるのだろうか。」
- 働く場での民主主義と基本的人権を享受できる事業体(326号巻頭言2020.1)
「相変わらず過労死・パワハラがニュースになっている。東京オリンピック・パラリンピックの総合演出担 当の広告代理店のディレクターがパワハラで懲戒処分されたらしい。以前に過労死問題で告発された会社である。結局この会社は何も変わっていなかったのか。」
- 『誰もが』『自己実現に 自由である』こと(309号巻頭言2018.8)
「福祉は、包括的に幸福追求権と人格権(個人の人格価値にかかわり、それを侵害されない権利。自己決定権を含 む)に、そのあり方の根源があると思われる。私にとって、福祉とは『誰もが』『自己実現に自由である』ことが出発点である。」
- 協同総研は、協同組合の研究を再構築し、その運動に資す〜総研理事長退任あいさつ(296号巻頭言2017.7)
「21世紀の本来的な協同組合研究は、 市民・庶民の協同の営みの総合的研究にあります。その協同の営みを、既存の個別組織の枠内(パラダイム)に当てはめようとすることデも、その裏返しである既存の個別組織の維持・発展を主眼目にすることでもありません。」
- ICA声明<定義、価値、原則>と通念的協同組合論の穴(284号巻頭言2016.7)
「先のIYC(国際協同組合年、2012年)以降、 国内では皮肉にも農協など協同組合とその 制度に逆風が吹いた。国際的にもモンドラゴンのファゴール、イギリスの協同組合銀 行という老舗・名門のなるべくしてなった倒産があり、様々な意味において、ICA声明を始めとする協同組合パラダイムに対す る問いが必要だと感じている。どこかに落とし穴があるに違いない。」
- 自治の文化と協同労働 〜協同組合経営論の探求、借り物の経営論からの解放〜(278号巻頭言2016.1)
「現在はこう言える。協同組合にとって最も深刻な弱点は、一般的に見て、協同組合の経営論に関することである。ほとんどの協同組合経営論が一般企業の経営論、換言すれば多くの高等教育機関で教えている経営論の借り物でしかないことにある。」
- 学習支援組織とは、自からが学習する組織(270号巻頭言2015.5)
思うに、「学習支援する組織」なら自らが「学習する組織」でなければならない。協同総合研究所が推進する「協同労働」の立場からすれば、前述のコーテン氏の言の「組織」は「働く人や人々」と読み直し、自らの成長を地域社会の改革に携わる視点で゙、本報告書のテーマを見ていくことになる。すなわち、当事者と一緒に活動した人・人たち、私たちがこの過程でどう 変わっていったかも重要な関心事となる。
- 《表現の自由》が持つ能力の限界性への言及は許されるか(266号巻頭言2015.1)
「多くの報道が仏大統領などの 言質を用いて「<テロ>対<表現の自由>」、「<テロ>対<反イスラム>」というふうに対峙させた。しかし、重要なのは「<テロ>対<反テ ロ>」であって、そこに《表現の自由》や、ましてや《反イスラム》を対峙させるのは フェアではないと感じたのは私だけではないと思う。いつか読んだ『戦争プロパガンダ10の法則』を想起した。《表現の自由》 や《反イスラム》が戦争プロパガンダになっ てはいないだろうか。」
- 戦後における「協同組合法制論」と「協同組合論」の一側面(253号巻頭言2013.11)
発行予定の「協同組合研究の成果と課題」(堀越芳昭/JC総研 編)に執筆した「ワーカーズ協同組合論研究史」の要約に当たります。
- 【視点】餃子事件から共生の社会を考える(「労協新聞」2010年4月15日号)
我々は、自分たちが使い、消費するものがどのような労働の工場でつくられているかを知り、購入選択を判断する時期に来ている。そしてそのような情報を提供できる供給者、真の消費者組織・生協が求められているのではなかろうか。
- すべて国民は、(人たるに値する)勤労の権利を有し、義務を負ふ(巻頭言194号2008.9)
「協同労働法」制定市民会議の法要綱案には、「働く意思のある者たちが協同で事業を行うために・・・」と書かれている通り、さまざまな人たちが勤労の機会を自らの「協同出資・協同経営でによって共に働く」ことで実現する新たな仕組みを追求している。憲法27条で謳われる仕組みを、実践的に補強しうる制度と言えるのではなかろうか。
- コミュニティケア共済と協同組合(巻頭言152号2005.3)
このCC共済が他の共済や保険等と異なる最大の特徴は、高齢者がいつまでも元気でいられように、ボランティアによる見守り、声 かけ、話し相手、誘い出しなどの「現物給付」の仕組みを持ってい ることであろう。ここに言う、見守り、声かけ、話し相手、誘い出 しなどの地域での活動は誰も不必要だとは言わないであろう。
- あらためて考える労働者協同組合制度(巻頭言133号2003.8)
労働者協同組合とは働こうとする市民・失業者たちが出資金を出し合って事業を起こす、仕事起こしの協同組合で、換言すれば 高齢者、女性、障害者、失業者などあらゆる人が、企業に雇われるのではない「もう一つの働き方」で働く場を手にすることのできる協同組合である。もちろんその分、労働者の経営に関わる責 任は直接的である。
- <協同総研研究会「労働者協同組合の運動・組織・経営」>でのコメント(129号2003.4)
私は結局、協同組合というものは、それに関わ る人、人たちを主体にする組織だと確信しています。それは組合員でなくとも、納入業者であってもです。だから例え小さくとも 社会的に意味のある事業ができ、注目されるものになっていくんだろうと思っています。主体形成は協同組合では当たり前のことであるし、そうしなければ事業団体としての価値も生まれ得ません。協同組合で働く人たちに関しても全く同じです。 協同組合を対象とした議論・研究を行う場合、機能論的な評価だけでなく、というよりもっと大切なのは存在論的分析であろうと思っています。
(協同総研研究会「労働者協同組合の運動・組織・経営」角瀬保雄さん報告はこちら。) - 東京からハノイへ――協同組合と青年の未来のために(120号巻頭言2002.6)
「青年セミナーは何のために開かれるのか、そして開かれ続けられるべきか。それは一言で言えば「協同組合と青年の未来のために」ということに帰着する。そのポイントは青年に協同組合の原点、青年と協同組合とを結ぶ哲学を紹介し続け、あるべき青年と協同組合との関係を作り上げるプロセスの一つとして位置づけることにあろう。」
- ICA アジア太平洋地域 協同組合青年セミナー2001(110号2001.8)
学習か教育か―協同組合学習論に関わって:根底には、この類のセミナーは学習か教育かの論点が横たわっている。これはグローバルレベルでも一国レベルでも同様の論点かあると思われる。実は、青年セミナーそれ自体が協同組合への参加の過程である し、セミナーでは青年の思いを青年自身の責任でまとめ上げる、すなわち青年がビジョンを持つこと、そのために学び交流すること。いわゆる「大人」がこの青年のビジョンを受 け止めることによって世代間の交流が始まる。
- 「協同労働」への挑戦―労働者協同組合の原則に対するコメント―(108号2001.6)
新原則案は 1992年に採択した現原則の改定の位置にあるけれども、その内容は自らを 律する目的を超え、協同と共生の 21 世紀に ふさわしく、広く市民の活動と生活の中に位 置づくものになっていると言えます。その意味では、新原則案は「自己宣言」であるとと もに広く市民に向けた宣言というのが、今回改定の主旨と言えます。
- レイドロー報告からケベック大会へ(100号巻頭言2000.9)
既存の枠組みを維持したままでは協同組合の発展はあり得ない。このことを実践的に豊かな報告で証明したのが、昨年のICAケベック大会である。グローバル化と集中から誘導される排除(リストラ)に、包み込みを精神とした協同組合が挑戦しようという趣旨の大会であった。
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